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OLYMPUS-OM1n

オリンパスOM1の前身であるM1が登場したのは1973年のことでした。

メカニカルシャッター機としては、最後発に近いものですが、その分、一眼レフとしては異例な程コンパクトなボディーを実現していました。時代は、AEカメラに傾きつつある時代で、事実、OM2とは同時開発が進められていました。

当初はM1と呼ばれていたものが、ライカからクレームが付き、OM1に改称したのは有名な話ですが… 当時、既にライカM1は生産中止になっていて、しかも主力モデルとは言えなかったことを考えると、随分と横柄な話だと思いますが…。

そして、その改良版として登場したのがOM1nでした。

主な変更点は、モータードライブ仕様が標準になったこと、ファインダー内に、フラッシュのチャージ完了を知らせるランプが付いたことですが、全体的に、内部もリファインされている様です。

OMシリーズの特徴は、システムが非常に充実しており、その機種ごとの互換性が保たれていることでした。他社では、機種ごとにに違っていたモータードライブの様なアクセサリーも、全機種で互換可能であり、それどころか、モータードライブ対応でなかった初期のM1やOM1でも、改造によってモータードライブの取り付けが可能でした。

スペック的には、普通のマニュアル一眼レフそのものなんですが、その重さは、実にライカMシリーズと同じというコンパクトなもので、後に他社にも大きな影響を与えました。

80年代初頭、既に時代遅れであったマニュアル一眼レフですが、OM1nには、古臭さはなく、むしろ知的な雰囲気すら漂っていました。

コンパクトながらも、操作系はちゃんと考えらられていたのも立派なところです。

OLYMPUS-OM1
– 若き頃の岩合光昭氏… OM1nのカタログより…。

オリンパスという会社は、米谷美久という一人の技術者が前面に出てくる辺りが、日本の他社と比べて、異色なところでした。

ニコンF2や、キヤノンF-1の主任技術者と言っても、恐らく答えられる人は多くは無いことでしょう。それに比べると、米谷氏の知名度は異例といえるでしょう。

自分自身もカメラのファンで、OMシリーズのユーザーであったこと、その事こそが、このカメラの異例の完成度に繋がっていたのだと思います。

1984年にOM3が発売された後、しばらく併売された後に生産中止になりましたが、トータルで10 年以上、しかも、ミノルタα7000の発売前後まで販売されていた…というのは、やはり、普遍性のなせる技だったのでしょう。

米谷氏は、OM3を最後に、現場を離れていますが、その後のオリンパスの体たらくぶりと来たら… 氏の最大の失敗は、後継者を育てられなかった事で、それが後の長い暗黒時代に繋がりました。

そして、オリンパスの全盛期をフルに支えたOM1は、偉大な名器と言えるでしょう。