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– こんなマイナーな作品もありました。主題歌だけ無駄に格好良かった様な…。
 
「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」などの作品で知られる漫画家の松本零士

(まつもと・れいじ)さん(本名・晟=あきら)が2月13日午前11時0分、急性心不全のため、都内の病院で亡くなった。85歳だった。20日、東映が発表した。告別式は近親者のみですでに執り行っており、喪主は妻で漫画家の牧美也子さんが務めた。

【写真】2009年12月、自身がデザインした「忍者列車」にサインをする松本零士さん

 所属する零時社の代表取締役で、長女の松本摩紀子氏もコメントを発表。「漫画家松本零士が、星の海に旅立ちました。漫画家として物語を描き続けることに思いを馳(は)せ駆け抜けた、幸せな人生だったと思います。『遠く時の輪の接する処で、また巡り会える』と松本は常々申しておりました。私たちもその言葉を信じ、その日を楽しみにしています。これまで応援くださいましたファンの皆さま、作品を世に送り出してくださいました関係各社の皆さま、お世話になりました各自治体ならびに各団体の皆さま、若かりし頃から共に切磋琢磨(せっさたくま)してくださった漫画家の先生方、そして旅立ちにあたりサポートしてくださいました病院の皆さま、心より深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました」とつづった。

 松本さんは、1938年(昭13)1月25日生まれで、福岡県久留米市出身。6歳の頃から絵を描き始め、9歳で運命的な本(「新寶島」「月世界紳士」いずれも著者は手塚治虫氏)との出会いをきっかけに漫画を描き始め、15歳の時に投稿作「蜜蜂の冒険」が「漫画少年」で受賞掲載され、商業誌デビュー。実質的な漫画家デビューは1957年「少女」掲載の「黒い花びら」で、しばらくは少女漫画誌での執筆が続いた。

 1968年に青年漫画誌が誕生し始めたころ、「漫画ゴラク」に「セクサロイド」を発表。以降、青年漫画誌での執筆が増え、少年・青年漫画のジャンルで活躍し、「男おいどん」「ガンフロンティア」「宇宙戦艦ヤマト」「クイーンエメラルダス」「ザ・コックピットシリーズ」「宇宙海賊キャプテンハーロック」「銀河鉄道999」「新竹取物語1000年女王」など数々のヒット作を生み出した。

 19年11月、「宇宙海賊キャプテンハーロック」が、イタリアでのテレビ放送40周年を迎えて訪れたイタリア・トリノで倒れたこともあったが、帰国後は回復。東映によると、最近体調を崩し、年齢を考慮して入院していたという。


本当に著名人の訃報が多いですが、松本零士さんまで・・・驚きました。

70年代に子供時代を送った人であれば、宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999は避けて通る訳には行きません。
時代背景として、アポロ計画、パイオニア計画、ボイジャー計画、そして来るスペースシャトル計画とリアルタイムで続く人類の宇宙開発の歴史とシンクロしていたこともあり、全人類が宇宙に果てしない夢を持っていた時代だっただけにあ、松本作品の宇宙を背景とした壮大なドラマがより一層輝いて見えたという一面もありました。

そして、そういった大宇宙を背景とした壮大なドラマと同時に、大四畳半物語、男おいどん…といった「大四畳半系」といわれる下町の下宿住まいのブ男を主人公とした物語も、また松本零士作品の醍醐味であり、壮大な宇宙ドラマとも不思議なリンクを見せているのです。

宇宙旅行も間近か?と思われたスペースシャトル計画ですら、民間人には全く縁のないウチに終了してしまった今日、70年代と比べて、人々の宇宙に対する好奇心は遥かに低いと言えるかも知れません。そんな中で、松本作品もあの頃程輝けなかったのも、また事実なのかも知れません。

しかし、あの時代にリアルタイムで松本作品に接することが出来たのは、人生に置いての大きな宝物だったと思います。
私が子供の頃に活躍していた方々が既に80代、90代という今日、本当に訃報が多くなったと実感します。

しかし、松本零士さんが亡くなったとしても、松本零士作品は不滅です。