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ヤマハFZX750 限定解除の思い出

yamaha-fzx50-86ヤマハFZX750が発売されたのは1986年、レーサーレプリカブームの真っ盛りの中でした。

そんな中で、ヤマハは取り敢えずFZ400Rを発売したものの、そのレプリカ路線には余り乗り気では無かった様で、FZ750やFZ250フェーザーは、レプリカとは一線を画したスタイルで登場しています。

FZXのスタイルは、写真で見た感じ、前年登場したVMaxの小型版といった感じでもありました。

しかし、実物を見ると、VMaxとは全く違い、非常にコンパクトで、400ccクラスのボリュームに見えたものでした。

エンジンは、FZ750のソレを若干低速向けにチューニングしたもので、前後16インチのホイールに超ロングホイールベースという独特なプロポーションを有していました。

スタイルもシティー派アメリカンとでも言うのでしょうか?

このバイクは、当時、限定解除の練習所で乗ったことがあるのですが、低速トルクに欠ける反面、非常にアクセルのピックアップが鋭く、少しでもアクセルを開けると、急加速をし、驚いてアクセルを閉じると、今度は強烈なエンジンブレーキを喰らいます。

コレは、当時のヤマハFZ系に共通した設定だったのですが、アクセルの開閉角度を無理に小さくしていたのではないでしょうか?

それ故に低速で走るには、ギクシャクしてなんとも乗り心地の悪いバイクでした。

更に前後16インチの小径ホイールに、超ロングホイールベースの組み合わせは、前後が妙にチグハグな動きをする感じで、どうも思い切って車体を振り回す気にはなれなかったのです。

そんな訳で、同時期試験車として多用されていたホンダ・CBX750ホライゾンの方が、すべての面で、印象が上でした。アチラは低回転から十分なトルクがあり、自然なハンドリングで、思い切ってバイクを振り回せたのです。

練習場では、当時主流であったホライゾンとFZXをメインに、CBナナハンも乗っておく…という感じで練習が行われました。

そして試験当日、午前中は練習所に行き、その日の朝発表されたコースを練習し、そして午後から試験場に向かいました。

その日、コースに並べられた車種は、FZXとホライゾンが半々、そして、真新しいVFR750も数台あり、人だかりが出来ていました。

そんな中で私に当たったのは、こともあろうにFZXだったのです…。

しかも当時、FZXはマイナーチェンジを受け、練習場は旧型、そして、試験場のソレは新型だったのです!

主な違いは、74馬力にパワーダウンしたこと、そして、ミッションが6速から5速になったことでした。
噂では、新型の方が乗りやすい…という事だったのですが…練習場のソレと比較しても、どうもフロントフォークがフワフワして、あの前後チグハグなハンドリングは相変わらずでした。

しかし、やはり練習所に通っていただけあり、私より先に走っている人を見て、気分的にも余裕がありました。

取り敢えず試験では、何やったか覚えていない位に一生懸命走りましたが、最後に急制動をもう一回やる様に言われました。

最後の項目をもう一回…ということは、まだポイントが有るという事なので、慎重に急制動をもう一度やり、そして完走しました。

完走する場合、試験中止の場合と戻ってくる場所が違うので、一斉に視線が集まったのをよく覚えています。

そして、その日の完走者は5人、その全員が合格しました。50人近い受験者が居たので、やはり一割です。

FZXは、私が限定解除を受かった記念すべきバイクです…が、だからと言って、その後好きになったとか、欲しいと思ったことも無いですね…。

実際このバイクは、VMaxの人気に比べると、終始地味な存在でしたが、私とは違い、そのオーナーの大部分が、限定解除で好きになった…という人だったのではないでしょうか?

因みにホライゾンも、発売当時は全く人気がなく、生産中止後、その在庫車が試験車、白バイに採用され、人気がでて高値安定する様になりました。

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私がMacBook Proを購入した理由

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macbook-pro-2015私は最初のパソコンがマックだったのですが、それ以降、周囲との互換性、価格面もあり、ずっとウィンドウズを使ってきました。

ウィンドウズになってから、初めてウィルス感染を経験したり、操作感にしても、ウィンドウズ98のソレは、明らかに旧世代のマックOS8に劣るなど、それなりに不満はありましたが、やはり、価格面での差、そして周囲との互換性は、如何ともしがたい部分が有ったのです。

当時住んでいたニュージーランドでは、1ドルが40円台だった時代で、日本ですら高価なマックは、更に高価で、市場シェアは、ほぼゼロに等しかったのです。

その上、当時私が使っていたPowerBook1400では、僅か数年で、周辺機器の一つも使えないという、マックならではの切り捨て体質に疑問を持ったこともありました。

それから16年、ウィンドウズ98、XP、7と使ってきましたが、ウィンドウズには、決定的な欠点があるのです。

それは、
1.パソコン本体を作っているメーカー
2.OSを作っているマイクロソフト
3.その他ソフトを作っているソフト会社

全てがバラバラな事なのです。

それ故に安価に出来ているとも言えますが、何かトラブルが起こると、必ずユーザーは、この3社の間のたらい回しになるのです。

それで膨大な時間を浪費し、結局フォーマット〜リカバリーしか手がない…というのが常です。

特に私の住んでいるカナダでは、どの業界でも、日本ほどのカスタマーサービスの質は期待できません。特に私の持っている東芝なんかは、そのサービスの酷さには定評のあるところなのです。

それに比べると、マックの場合、パソコン本体もOSも、そして多くのソフトを自社で作っているので、トラブルが起きたときに、対応し易いというメリットがあるのです。
更に、その顧客サービスの質は、カナダの常識ではトップクラスのもので、結局その辺りが購入理由なのです。

日本では、海外に行く人は、海外保証のある東芝…と考える人も居ますが、ソレは考え直した方が良いですよ。

…というのは、その海外保証というのは、殆どの国では、自国内で修理せず、日本に送り返してから修理するというシステムなのです。一見合理的にも見えますが、保証をはじかれた場合、それこそ10万円近い様なDHLだかのバカ高い航空料金まで請求されることになるからです!

私も一度ソレに引っかかり、バカ高い航空料金を払ったものの…帰ってきたPCを見ると、ボディに盛大な傷が付いており、ソレを文句言うと、送り返して再修理するという話になったのですが、結局、だったら最初の料金をチャラにしろ!という話で決着を付けたのです。

しかも、それですら修理に2週間は当たり前にかかるのですから。

コレを考えると、海外に頻繁に行く人も、やはり今の時代、マックが便利なのかも知れません。コンパクトで持ち運びが楽というのも有りますし。
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ペンタックス・オート110

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pentax_auto_110110(ワンテン)サイズというフィルムは、72年にコダックが発売した16mmフィルムを使うカートリッジタイプのフィルムでした。

この16mmフィルムというのは、8mmフィルムと共に、元々映画で多用されたものですが、ソレを使うスチルカメラ自体、戦後から結構色々有ったのですが、それが規格化されておらず、専用フィルムであったり、専用マガジンにフィルムを装填して使用する等の煩わしさがあり、それ故にコンパクトさとは裏腹にイマイチ人気を得るに至らなかったのですが、コダックという大企業故に、それを規格化する事に成功したのです。

70年代に人気を博した「ポケットカメラ」というのは、この110フィルムを使ったカメラなのですが、35mmと違い、カートリッジ式で簡単に装填、取り出しができるのが特徴でした。

しかも、35mmフィルムにDXコードが付く遥か前に、ISO感度の自動設定も実現していました。

当時はDXコードの様な電子的なものではなく、切り欠きの位置によって検出するという機械的なものでした。

当時の一般ユーザーでは、フィルムの出し入れはカメラ店でやってもらう人が、物凄く多い時代だったのです。

更にフィルム自体が小さいので、カメラ自体も大幅なコンパクト化が可能だったのです。

その多くがオモチャの延長の様な、固定焦点、露出も固定という物でしたが、一眼レフのパイオニア、ペンタックスの手に掛かれば、110の一眼レフになったのです。

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当時のペンタックスは、コンパクトカメラも持っておらず、まさに一眼レフ専門のメーカーで、上は67、そして35mmのLX、Mシリーズ、そしてオート110という風になっていたのです。

この110フィルムを使ったカメラの中では、一眼レフ式は、他にもミノルタ・ズーム110がありましたが、レンズ交換式では唯一の存在でした。

110フィルムというものは、構造上、フォーカルプレーンシャッターが使えず、かと言ってレンズシャッターでしかもレンズ交換式にするのは、大きさからして大変に難しいので、シャッターはボディー側で、絞りを兼用した「ビハインド・ザ・レンズシャッター」という構造になっている為、レンズとボディー間の連携機能はありません。

現在のペンタックスQシリーズよりもコンパクトで、しかもレンズ交換式、アクセサリーとして、専用フラッシュとワインダーまで用意されていました。

当時、どの程度人気があったのかは知りませんが、当時のカメラ店のショーケースで、オート110、35mm、6×7と揃ったペンタックスのラインナップは、一眼レフの専業メーカーならではののもで、実に壮観なものでした。

minolta-weather-matic
-ミノルタ・ウェザーマチック…コダック規格に熱心だったミノルタの全天候カメラ

しかし、80年代になると、オリンパスXAシリーズ辺りから、35mmフルサイズのカメラのコンパクト化が進み、110のポケットカメラと殆ど差のない位になっていきました。

更に、フィルムの自動装填も普及し、誰でも当たり前にフィルムの出し入れができる様になりました。

更にはAEやAFが当たり前になると、画質の差は如何ともしがたいものへとなっていったのです。

そうなると、コダックの提唱した企画の常で、衰退していき、ペンタックス・オート110も、いつの間にか姿を消していました。

コダックという会社は、その規模のお大きさから、時々、新しいフィルムの企画を作り上げたのですが、後に日本のカメラメーカーが、従来の35mmで同等のサイズまでコンパクト化を果たし、存在価値を失うというのが常でした。

新規格のフィルムを作るというのは、簡単そうに聞こえますが、世界中の何処でも入手出来る様に、しかも、現像処理ができる様に…という事まで考えると、大変に手間とコストが掛かることで、コダックの様な超大企業だからこそ出来たことで、規模に劣るフジには出来ませんでした。

しかし、カメラ技術の低さを、新しいフィルムでカバーする…というやり方は、結局毎回日本のメーカーのカメラ技術の高さに負けたのです。

オート110は、ある意味杜撰なコダックの規格に対して、最も真面目に取り組んだ一台だと言えるのかもしれません。

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iPad mini 2

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ipad-mini2-white - 明るい感じのする白を選びました。

私が初めてタブレットを手にしたのが、2年前、iPad mini2でした。

当時、既に3が出ていたのですが、指紋認証と新色以外、特別目新しいことも無かったことから、より安くなっている2を買ったのです。

1の方が更に安かったのですが、やはりRetinaスクリーンに64ビットの新型アップルA7プロセッサーと、重要部品が変更されていることから、2を選んだのです。

初代iPadが出たのは2010年でしたが、正直私の感覚では、大き過ぎると思い、その当時から、iPhoneとiPadの中間くらいの大きさのものが出たら良いのに…と思っていたのです。

そして3年後に登場したのです。

しかしコレ…正直PCと比べると、すべての面で操作性が劣りますし、特に日本では、フリーのWifiが普及していないこともあり、相当微妙な存在でもありました。

カナダでは、コーヒーショップなんかでWifiが有るので、遥かに使い道が有るのですが…。

このiPadという商品が成功したのは、先にiPhoneが発売されていた事と、大きく関係あると思います。

iPhoneというものは、従来の携帯からは考えられない位に多機能で、完全な「たし算型商品」でした。そして、ソレを見慣れた目には、大きなiPadも、より使い易い「たし算型商品」だったのです。

例えばiPhoneが先に出ていなかったとしたら…iPadは、ネットブックよりも機能が劣り、キーボードも無く、出来る事も限られた上に値段も高い…要するに「引き算型商品」にしかならなかったことでしょう。

引き算型商品というものは、余程安いなりの理由が無いと、中々売れないものです。それに対してアップルのやり方は、見事としか言い様がありません。

今から20年ほど前、ウィンドウズ95が大ヒットし、空前のパソコンブームが起こった時、「このパソコンブームが何時まで続くと思うか?」と人に聞かれた事があります。

当時の私の答えが、「インターネット専用機器が出るまでの一時的なブーム」というものでした。それは、80年代初頭のパソコンブームが、ファミコンの登場によって衰退した事を知っていたからなのですが…。

ところが、その「インターネット専用機器」とやらは、中々発売されず、携帯のiモード、電子手帳のザウルスなんかがネット接続が可能になったりしていたものの、依然パソコンに太刀打ちできるモノではありませんでした。

そして今になって考えてみると、このiPadから始まったタブレットこそが、私が20年前に考えていた「インターネット専用機器」なのかも知れません。

事実、年々家電量販店に占めるパソコンのスペースが縮小し、タブレットのスペースが拡大していますし、カナダでは、既に日本製ブランドのパソコンは、完全に無くなってしまった位です。

正直、iPad miniに関して言えば、パソコンに比べて出来ることがかなり限られているという印象がありますが、多くの人にとっては、あれ位で充分なのです。

2年使っていても、まだバッテリーは10時間ほどの使用に耐えますし、常に持ち歩ける「インターネット専用機器」として、活躍しています。

オマケに現在、カナダの子供は、皆が皆、このiPad miniを欲しがる様です。

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東芝NB100 ネットブック

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toshiba-nb100-jp-1ネットブックというものは、2007年頃に登場した、低価格の小型ノートパソコンでした。

その背景には、急激に普及したWifiによって、より気軽に持ち歩けるパソコンが求められたこと、そして、時代的に、動画やネット販売なんかが急速に普及した時期でもあり、ネットがなければ生活が成り立ちにくくなっていく中で、低所得者でも手の出るパソコンが求められた・・・というのも有りました。

モニターは10インチ前後で、キーボードを持ち、プロセッサーはインテルのアトム、そしてメモリーは1G、ウェブカム付き・・・という風に、皆決まり切ったもので、ウィンドウズもビスタが出た後も、XPの搭載が続きました。

パフォーマンス的には、アトムが非力なこと、そして、メモリーも少ないので、大した事は無いのですが、外付けタイプのDVDライターを使ってのDVD書き込み等、作業によっては、私の当時のメインのPCよりも早いこともありました。

私がこのネットブックというものを手にしたのは2008年、東芝NB100というモデルでした。この手は殆どが海外メーカーで、日本ではあまり普及しなかった様ですが、東芝は、その数少ない日本のメーカーの製品でした。

拡張性は、USBが3つ、SDカードスロット、Ethernet・・・最新のマックブックProよりも良いじゃ無いですか!ただ、当時としては、PCカードスロットもディスクドライブも無いというのは、随分と割り切った設計に見えたものでした。

私の東芝は、ニュージーランドで400ドル弱位だったと思います。実は同価格で15インチのパソコンも有ったのですが、その時は、このコンパクトな物が物珍しく、サブとして購入しました。

しかし・・・ニュージーランドでは、余り無料の Wifiは普及しておらず、むしろ旅行用のPCといった感じになってしまいました。

バッテリーは3時間程度持ち、当時としては悪く無い方でした。大容量の社外のバッテリー、2Gのメモリー、そしてSSDに交換すると、更に快適に動く様になるのですが、HDDの取り外しには、ほぼ全部バラさないといけないのが、慣れないと大変でした。

この機種は、とにかくキーボードの取りこぼしが批判されたものでした。日本語の小さな「っ」をタイプする等、同じ文字を続けて打つ時に、其れはよく現れたものでしたが、SDDに変えてからは、出ない様ですね・・・取りこぼしというか、処理速度の問題だったのかも知れません。

このタイプの衰退は、やはりiPadの登場が大きかったのではないでしょうか?iPhoneを先に出して、ソレに慣れさせてから、その大きなバージョンを出した・・・というのは、実にうまいやり方でした。

仮に2007年頃にiPadが出ていたら・・・恐らくキーボードも無い、できる事も限られている・・・で、大して人気は出なかったと思います。世の中、「引き算型」の商品は、大変に難しいのです。

反面iPhoneは、従来型の携帯に対して、明らかな「たし算型」商品でしたし、ソレを大きくしたiPadもたし算型商品となったのです。

そんな中でネットブックもウィンドウズ7まで発展して行きましたが、ウィンドウズ8の機種は発売されず、同時期に発売されたクロームブックの影響もあり、静かに姿を消しました。

今日、スタバに行けば、Macbookが大人気です。皆、このネットブックの様な使い方をしている訳ですが、だったら、下手な横並びな企画を捨て、もう少し高性能、高価格になったとしても、市場は有ったと思うのですが・・・。まあ、ソレがウルトラブックなのかも知れませんが、少し価格が高いですね。

私個人的には、SDDに換装したNB100を、ツーリング時に持ち運んでいます。やはりウェブサイトのアップデートやフォトショップの作業となると、iPadよりも遥かに効率が良いので。

一応、フォトショップもドリームウィーバーも動くので・・・

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MacBook Pro購入!

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金曜日はブラックフライデーでした。この日は、あらゆる店で値引きが行われる日なのですが、当然物凄い人出になります。

そんな中で、MacBook Proの15インチを購入しました。販売価格は若干日本より安い位なのですが、バンクーバーでは、消費税が12%掛かり、それだけでも300ドルにもなってしまうのです。

まあ、ブラックフライデーの得点で、200ドル分の商品券を貰えたので、少し日本より高い位の価格で買うことが出来ました。

私が初めて手にしたコンピューターが、PowerBook1400csだったのですが、あれから20年ぶりのマックです。

それまでは東芝の17インチを使っていましたが、ソレを購入した理由が、現在まで一般的なウィンドウズの15インチは、皆15.6インチで、その前に使っていた15.4インチに比べ、モニターが縦方向に小さくなっているのです。

写真をやる私としては、縦位置の写真を表示する時、それは致命的だったので、仕方なく17インチという巨大なラップトップを使用していたのです。

それに対してマックは、今でも15.4インチであり、モニターの高さが、17インチのソレと殆ど変わらないのが良いところでした。

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あとは、モニターの見え方ですが、東芝のソレが、やたらギラギラして、老眼になりつつある目には、非常に厳しいものがある…というのも、マックを選んだ理由です。

しかし、マックのラインナップって、上手くできているというか…上手い具合に高い方に誘導する様に出来ているんですね…。

最初はMacBooK Air辺りを考えていたんですが、モニターがRetinaでないこと、プロセッサーやメモリーが、Adobe製品を多用するのに十分とは思えなかったので、そうなると、Proになってしまうのです。

13インチか15インチか…コレは結構迷うところですよね?実際現在は、13インチの方が売れています。それは価格が安いという事も有るでしょうし、携帯性という意味もあるでしょう。

ただ13インチでも、メモリー、SDD、プロセッサーを15インチと同じ程度に積み込めば、余り価格差が無い事に気がつき、だったら15インチの方が使い易いか…という事になったのです。

まあ、13インチを買い、家で使う時は、外部モニターを使う…という使い方もありますが、そうなると、Retina並みのモニターというと、それなりの価格になってしまいます。

しかし、元々マックは拡張性が無いことで知られていますが、今のMacBookは、全てが専用部品で、メモリーの追加も出来ないので、最初から高いグレードを買うしか無いんですよね。
ストーレージも256GBと、今時のパソコンと比べて小さいですが、SDDであること、そして、その専用のSDDはコンパクトな反面、非常に高価ですし、今や外付けHDDやクラウドを利用することで、ストーレージスペースの大きさは、それ程必要では無くなってきています。

反面、やはりこのスリムさは良いものですし、静かで瞬時に起動すしますし、アドビ製品の処理も、圧倒的に速いですね。

MacBook Proというのは、名前の通り、プロ用機材です。そのプロ用機材がここまで拡張性が無いのも不思議な気がしますが、まあ、それだけパソコンという製品が、既に購入した時点で十分なパフォーマンスを持っている…という事なのでしょう。

私が購入したのは、2015年モデルですが、既に2016モデルが登場しています。

此方は500ドル程値上がりしている上に、USBポートすら無くし、全てUSB-Cポートのみという、たまにマックがやる切り捨てが行われました。昨年登場したMacBookでは、既にUSB-Cポートが一つ…まあコレは完全にモバイルという性格付けなのでしょう。将来的には、皆そうなるのでしょうが、まだ少し早過ぎる感じですし、アダプター代がバカにならないのではないでしょうか?

それにしてもコレ、使い易い様にカスタマイズするのに、結構時間掛かりますね。

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JR姫路駅の駅そば

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私はかつて、兵庫県の姫路に住んでいたことがありますが、このJR姫路駅の「まねき食堂」の立ち食いソバは、地元で有名なB級グルメです。

写真の通り、一見ラーメンの様に見えますが、スープは、うどんと同じ関西風のつゆです。

そして、この独特な麺ですが、中華の「油麺」を軽く茹でたモノなのです。

この油麺というものは、カナダでも簡単に手に入るモノで、私も家で作ったりします。

コレは戦後、蕎麦粉の入手が困難だった時代に始まったものだそうですが、JR姫路駅か、この「まねき食堂」関連以外では、食べられない、正に幻の味となっています。

私の高校では、学食にまねき食堂が入っており、そこで食べられたことからも、非常に身近な存在でした。

当時、うどん・そば共に100円からだったので、高校生にも大変身近な物だったのです。

数年前、卒業後初めて高校を訪問した時、すでに食堂の業者は変わっており、メニューも全く違うものになっていました。パスタだピザだ何だって・・・しかも値段も高く、人気もイマイチとのことでした。

因みに姫路の「うどんつゆ」というものは、有名な大阪のソレに比べ、若干味が濃いのが特徴だと思います。

反面、大阪のソレは、薄味の反面、後味が辛く、喉が渇く傾向にあるのに対して、姫路では、ソレはありません。

作り方が分かった今日、敢えて姫路まで行く必要も無いのですが、この麺の湯で具合が非常に微妙で、固いとイマイチで、柔らかいと、今度はラーメンみたいな味になってしまい、コレもイマイチ・・・その微妙な茹で加減で大きく味が変わるのが、コレの特徴でもあったりします。

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アップル・マッキントッシュ・PowerBook 1400cs

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powerbook_1400cs_133このブログを見ている方の大部分が、40代以上だと思いますが、初めて自分のパソコンを手にしたのは、何時ごろだったでしょうか?

パソコン(当時はマイコンと呼ばれていました)が登場したのは70年代終わり頃の話しですが、一般人で当時、それに飛びついた人は、主にゲームが目的だったと言えるでしょう。

私が中学生であった80年代前半、パソコン自体、今から考えると、話しにならないレベルでしたら、それでも20万は優に超える価格で、おいそれと手を出せる代物ではなく、精々クラスで数人…というレベルであったと思います。

ところが、1983年に任天堂がファミコンを発売すると、ゲームに興味の有った多くの人は、ソレで十分に満足し、パソコン=地味なオタク趣味…というイメージが付いて回りました。

そんなパソコンが再び脚光を浴びたのが、ウィンドウズ95の発売、そして、インターネットの一般解放からで、それまでパソコンに全く縁の無かった人まで、手を出す様になって行きました。

そんな中で始めて私が手に入れたパソコンが…実はマックだったのです!
Macintosh PowerBook 1400cs・・・コレは当時のマックのエントリーモデルに当たりますが、ハードドライブは1GB・・・1TBじゃないですよ!

プロセッサーもパワーPC133メガヘルツ、メモリーも最大で64MBでした。

それでも、当時は最先端と言えるもので、初めて手にするカラーのモニター、そして、起動する時のジャーンという音には、感激したものでした。

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マックと言えばデザイン・・・この機種は、モニターのカバーの一部が透明になっており、そこに写真なんかを入れることが出来るのが、目新しいところで、そのテンプレートも内蔵されていました。

私のは、当時最先端、マックOS8が入っていましたが、コレが何とも不安定で…8.1にアップデートして、ようやく安定したものでした。

そして、このコンピューターで初めてインターネットというものを体験しました!1998年のことです。
当時はダイヤルアップネットワークで、その設定は、パソコン初心者の私には正に悪夢そのものでした。一体何回プロバイダーに電話したことでしょうか?

今日、ワイヤレスで誰でも簡単に・・・正に隔世の思いがします。

しかも、プロバイダーとの契約も、月15時間で3千円位だったでしょうか?しかもダイヤルアップなので、使っている間だけ、電話代も掛かるので、インターネット自体、結構バカにならない金額だったものです。

しかし、この1400シリーズには、重大な欠点が有ったのです。ソレは、USBに全く対応出来なかったことで、当時、既にUSBが一般的になりつつある時代だったのです。

少し後に発売された初代iMacは、それまでの接続方法を一切無視し、USBを全面に出してきました。そして、フロッピーディスクすら無い…当時のマックファンからすると、かなり微妙な存在でもあったのです。
しかし、その後、急激にUSBが普及し、2年後には、1400シリーズで使える周辺機器は、全く見当たらなくなってしまいました!

この機種に使えるUSBアダプターの類は、一切用意されなかったのです。

まあ、その頃には、性能的にもかなり苦しくなってきていましたが・・・。現在、5年前のPCでも、普通に動くのなら、全く問題なく使う事は可能ですが、当時のものは、2-3年で完全に時代遅れになる位、急速な発展を遂げていた時代でした。

そして、1999年に私がニュージーランドに引っ越した事、現地ではマックのシェアは、ほぼゼロに等しく、それ故に次はウィンドウズ98に切り替えましたが、より新しいはずのウィンドウズ98は、何とも洗練されていない、ぎこちない操作性に感じたものでした。

そして、ウィルス感染を初めて体験したのも、ウィンドウズになってからでした。当時のマックは、シェアが小さかったこともあり、ウィルスを製作する物好きもおらず、ウィルス・・・何ソレ?何て具合の無知な私でも、ウィルスソフトすら無しに全く問題なく使えたものでした。

しかし、当時の数年の性能差は大きく、PC自体のパフォーマンスは大幅に向上しており、それ以降、ウィンドウズばかり使う様になりました。

ウィンドウズ移行後も、マックはサブとして使い続け、最終的にはWiFiまで接続可能にしましたが、ブラウザの古さは如何ともしがたく、ある時、Yahooメールがちゃんと表示出来ず、メールの確認が出来なくなった事で、サブとしての使命を終えました。2006年頃だったと思います。

結局8年ほど実働したことになりますが、その間、一度もデータを失ったことも無く、トラブルもマックの販売店で簡単に修理が可能であったのは、ありがたい事でした。ウィンドウズでは、何度かHDDのクラッシュを体験したので。

記憶媒体はフロッピーディスク、USBが使えないので、USBメモリーなんかも当然使えず、CDドライブは、当然書き込みも出来ませんし、DVDの再生すら出来ませんでした。

2006年の初頭にウィンドウズXPを購入しましたが、HDDは100GB、プロセッサーも1.4GHz、DVDライターも標準で、メモリーも最大2GBまで搭載可能でした。そして、このタイプから外付けフロッピードライブが付属しなくなり、512mbのUSBメモリーが同封されていました。

あの当時の僅か8年の進歩は、正に驚異的なものでした。そして、既に10年になる2006年モデルのソレは、XPでである以外は、特に問題も無く、現在も特に問題なく使えたりします。

現在のMacBook Proが、殆ど同じ値段か、寧ろ安い位なのを考えると、改めて進化の早さに驚かされます。そして当時と違い、マックといえば、お洒落で洗練された人のアイコン・・・時代は変わったものです。

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タムロンレンズの思い出 アダプトール2

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現在もレンズメーカーとして知られるタムロンですが、私が写真を始めた80年代初頭、同社は交換式マウント「アダプトール2」で知られていました。

現在のAFレンズと違い、MFの時代は、マウントの部分を変更するだけで、全てのメーカーに対応することが可能で、それ故に多くのレンズメーカーが存在していたのです。

そして、タムロンの他にも、かつてはシグマやトキナー、既に倒産したコムラーも、皆マウント交換式を採用していたのです。

しかし、多くのマウント交換式は、F値が違うと互換性が無かったり、決して互換性に優れていたとは言えず、70年代末に、皆固定式マウントに移行していきました。

ところが、タムロンのアダプトール2は、F値にも関係なく使えることが特徴で、その互換性故に、他社では真似の出来ない多くのバリエーションを展開していたのも魅力でした。

頻繁にマウントを変更したマミヤ、生産台数の極めて少ないライカR、ローライSLといったメーカーにまで対応しており、そういうマイナーメーカーのオーナーには、大変に有り難い存在でもあったのです。

SP300F2dot8_LD_107B.jpg -300mmF2.8…純正の半額以下という値段で話題になりました。

その当時、現在でも銘レンズとして名高い90mmF2.5マクロや、レンズメーカーとして初の300mmF2.8、180mmF2.5等、単にレンズメーカー=安物という域を超えた、レンズメーカーならではの互換性を備えたシステムとして、大変に魅力的な存在だったと言えるでしょう。

そして驚くべき事に、このアダプトール2は、AFこそ作動しないものの、ミノルタαマウントにも対応していたのです!

ミノルタα7000が発売された当時、今後レンズメーカーが、どうAFに対応していくかが注目されました。

tamron-adaptoll2-70-210mmf4
– タムロンAF 70-210mmF4・・・こんな組み合わせも出来ました!

そんな中でタムロンが発売したのは、レンズ内にAFモジュールを内蔵したレンズで、従来のアダプトール2マウントで、全ての一眼レフでAFが可能・・・というモノだったのです。

コシナも同様のレンズを発売しましたが、残念ながら、ソレは余り成功したとは言えず、他者も含めてそれ以降、全てのメーカーが固定マウント化して行きました。

AFに関しては、メーカーによって鏡筒まで作り変えてやる必要がある為、非常にコストが掛かり、故に小規模メーカーは姿を消すことになりました。

私個人的には、一番上の望遠ズーム80-210mmF3.8-4が欲しかったのですが、当時の私はキヤノン・ニューF-1を使っていました。

タムロンのレンズをキヤノンに使う場合、絞りリングの回転方向が逆になってしまうのです、マウントの構造上、絞りリングまでがレンズ側にあり、その絞りリングの回転方向と、キヤノンの方向に合わせる為に、マウント部分でギヤを介して機械的連動を可能にしているのです。

canon-f-1-meterしかし、ニューF-1をマニュアルで使う場合、純正レンズだと、メーターの追針が、絞りリングの回転方向(上の矢印)に合わせて上下するのですが、タムロンを使うと、その動きが逆になってしまうので、他のレンズと共用すると、非常に煩わしく、結局固定マウント式のトキナーを購入し、タムロンとは縁は有りませんでした。

絞りリングばかりでなく、ピントリングの回転方向も、メーカーによって2種類有るのですが、固定マウントのトキナーやシグマは、当時、メーカーにピントリングの回転方向を合わせていたのですが、交換マウントのタムロンが、ソレが出来ませんでした。

ピントリングに関しては、キヤノン、オリンパス、ミノルタ、コンタックス、ライカ等が同じで、ニコンペンタックスが逆でした。

それ故に、タムロンのピントリングは、多数派の前者に合わせてありました。

そして絞りリングは、オリンパス、ニコン、ペンタックスに対して、キヤノン、ミノルタが逆回転でした。

よって、絞りは前者の回転方向になっているのです。

そうすると・・・絞りとピントリングの両方が一致しているのが・・・主要メーカーでは、実はオリンパスのみ・・・という事になってしまっていたのです!

オリンパス以外のユーザーは、絞りリングかピントリングのどちらかでガマンを強いられる・・・ソレがタムロンのマウント交換式の姿だったのです。

AF、プログラムAEが当たり前の今日ならともかく、ピントはマニュアル、露出もマニュアルでの使用頻度が高かった当時、ソレは決して小さくない問題だったのです。

ソレに対して、固定マウントのシグマとトキナーは、各メーカーに合わせてピントリングと絞りリングの両方を合わせて作っていたので、操作性が純正に近かったのが嬉しいところでした。

そして、当時の固定マウントとは言っても、殆どがメーカーのサービスで安価で(タムロンの交換マウントと同程度の値段)で変更できたのでした。

しかしその場合、例えばキヤノン用のマウントをニコンに交換した場合はピントリングが逆になってしまうのですが・・・。
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引用

カメラバッグ・Lowepro Passport Messenger

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家電売り場をぶらついていて、何となく良さそうなカメラバッグを見つけました。

Lowepro Passport Messengerという製品です。

見た感じ、余りカメラバッグ然としておらず、普通のショルダーバッグ(英語でメッセンジャーバッグと言います)の様に見えます。

私はカメラバッグという物を殆ど使用しません。

その理由は、先ずは大きさの割に重いこと、カメラの収納には便利でも、例えば旅行なんかに行く場合、カメラ以外の物を入れるスペースが殆ど無いので、結局もう一つバッグが必要になるからなのです。

passportmess_csc_stuffed.jpg写真からも分かる様に、クッション付きながらも、写真のカメラ収納スペースは取り外し可能で、取り外すと、普通のショルダーバッグにもなります。更にA4サイズの書類やMacBook Pro 13インチを余裕持って収納できるスペース・・・特に旅行に行くと、何かと書類が溜まるのですが、A4サイズの書類は意外と多く、しかもソレを収納出来るカメラバッグは、意外と無いのです。

外側には、バッテリーやフィルター等の小物を入れるスペースがあり、いちいちファスナーを開かずに手が届くのは、便利そうです。

_b181292

両側のストラップの付け根の部分に、600ccのサーモボトルがピッタリ収まるポケットがあります。万が一の水漏れを考えると、やはりバッグの中には入れたくないですよね・・・。

もう片側には、折り畳み傘でも入れたらいいでしょう。

_B181287.jpg

一つ残念なのが、ストラップの肩パッドは、柔らかくて快適そうなのですが、滑り止め加工がされていない事ですね・・・。

価格も、低価が79ドルのところ、39ドルになっていました。

img_1.jpeg

前回カメラバッグを購入したのが4年前ですが、当時はパナソニックGX1にキットレンズ2本しか持っていませんでした。

ニューヨークのB&Hの店員が、実に見事に探し当ててくれたものでした。

現在、レンズも増え、当時の小型のカメラバッグでは手狭になってきていたので、丁度良い買い物だったと思います。

パスポートメッセンジャー….名前の如く、観光旅行にちょうど良さそうです。あまりカメラバッグ然としていると、場所によっては危険な目に遭う可能性もあるので…。
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