Rockdom -風に吹かれて-

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1986 ALFEE TOKYO BAY AREA

1986年8月、アルフィーがお台場で10万人の観客を集めた、今や伝説と言えるコンサートでした。

会場は、現在、フジテレビのある辺りで、当時のお台場は全くの更地であり、当時は公共交通機関も無く、都営バスを数十台貸切で対応したということです。

そんな真夏の熱狂的なコンサートの中で初めて演奏されたのが、この曲、Rockdom -風に吹かれて- でした。

時代背景は、学生運動が盛んな1969年と唄われています。鬱屈した灰色の毎日、そんな中でも必死で生きていたあの頃…当時のアルフィーのファンといえば、中高生が圧倒的であり、この詩のの内容が果たしてどれだけ理解されたことでしょうか?

いえ、そんな事はどうでも良いのです。誰にでも当てはまる普遍的な内容が、そこには有ったのです。

現実には、アルフィーの3人も、その世代ではないのですから…。

この歌の内容、そして、あの熱狂的なコンサート・・・そこから、解散の噂が流れたのでした。実際には、その様な事は無く、現在までその活躍は続いていますが・・・。

関西の田舎に住んでいた私には、遠い世界の出来事ながらも、ラジオから、その熱狂を感じる事は出来ました。あれから30年も経つんですね・・・。

この時期になると、聴きたくなる一曲です。

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ペンタックスLX

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Pentax-LX

ペンタクスLXは、1980年に登場した旭光学の最初で最後のプロ用高級カメラです。
LXとは、数字の60という意味があり、旭光学創業60周年を記念する意味もありました。

ファインダー交換式ボディーで、絞り優先AE+マニュアル、フラッシュのTTLダイレクト調光というのは、同時期に発売されたニコンF3と共通ですが、高速シャッターをメカニカルを残したハイブリッドシャッター、密閉構造ボディーによる水対策というのが、新しいところでした。

本体価格にはファインダーは含まれておらず、購入時にファインダーを選ぶという、出来る限りユーザーに選択の余地を与えるという姿勢が徹底していました。

ユーザーのチョイスといえば、フォーカシングスクリーンは勿論、グリップから巻き上げレバー、ダイアル類にまで及んでいました。

当時のモータードライブは、ボディー右側に大型グリップを装備するのが普通でしたが、LXのソレは、グリップを持たない箱型で、グリップは別体式の物をボディー右側に取り付ける様になっており、そのグリップも既に形成された物と、自分の好みに合わせて削るタイプが用意されているという徹底ぶりでした。
メーカー曰く、グリップは使う人の手に合わせるのが理想ということでした。

ところが、このグリップを取り付ける為には、右側のストラップ金具を使う為、グリップ使用時には、通常の方法でストラップが掛けられないという問題が生じたのです。後にグリップにもストラップ金具を付ける改造を受け付ける様になりましたが、高級機としては、些かお粗末な気がしたものでした。

LX_viewfinderファインダー表示が、画面内に表示されたシャッタースピードのスケールにLEDという、余り高級感のあるものではありませんでしたが、使い易さという意味では、むしろチマチマしたF3のデジタル表示に勝っていました。

80年代のプロ機材のシェアといえば、ニコンF3が強く、キヤノンニューF-1がそれを追うという形でしたが、ペンタックスはプロ用というよりは、むしろハイアマチュア用という位置付けに定着していました。

当時のプロ業界というと、報道関係で絶大なシェアを誇ったニコン、芸術、雑誌系でシェアを伸ばしたキヤノンという形が70年代から続いており、そこに分け入るのは、やはり並大抵のことではありませんでした。

報道系に膨大な数のレンズが出回っているニコン、Lレンズの魅力でカラーの分野に分け入ったキヤノンに比べると、ペンタックスのレンズ群は、決して数や性能が劣っている訳では無いものの、逆に敢えて他社から乗り換えるだけの魅力があるか?と聞かれると、残念ながら答えはノーでした。

当時は全く興味の無かったカメラでしたが、現在改めて手に取ると、ニューF-1やF3よりも一回りコンパクトなボディーに、比較的良くまとまった操作系、決して高級感は無いものの、扱い易いファインダー表示に好感を覚えます。扱い易さという意味では、むしろ先行2社よりも上かも知れません。

とにかくコストをかけて真面目に作ったと言う印象が強く、事実、発売当時から既に一台につき数千円の赤字であったといい、末期の頃は、一台に付き、数万円の赤字であったという話しです。

写真を始めた80年代初頭、既に化石の様に思えた私のペンタックスSPも、正直な所不満と言う不満は全く無く、絞込み測光も全く苦になりませんでした。発売当時からスペックを超えた使い易さに定評のあるところでしたが、その辺りはLXにもしっかりと継承されている様です。

ただ、密閉構造のボディーは修理に熟練を要する事でも知られており、部品が底払いして、技術者が高齢化した後は、修理に問題が出てくるかも知れません。まあ、ソレは電子カメラの場合、多かれ少なかれ同様の傾向にあるとは思いますが・・・。

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まんが子供文庫

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1978~79年にかけて放映されたアニメで、明治~昭和初期の児童文学をベースにした作品でした。

70年代当時、プライムタイムに今とは比べ物にならない位、沢山の子供番組がありました。既に日本昔話、世界昔話等、同様の作品がありましたが、この作品の特徴は、もう少し時代背景が新しいことでした。

当時小学校高学年であった私たちにとって、間違ってもカッコイイとかいう番組ではなく、仲間内で「子供う●こ」なんて言って冷やかしていましたが、その割りには結構皆観ていた様です。

毎月の様にエンディング曲が変わるのも、この番組の特徴でした。

しかし、この番組は、既にフィルムが行方不明になっている様で、その後一切の再放送がされていないということで、実に30数年ぶりの再会ということになります。

当時、この番組を保存していたのは、一体どんな方だったのでしょうか?当時は家庭用ビデオなど普及している時代ではなかったので、かなり裕福な方だったのでしょう。

私たちが学生の頃、まだまだ明治、大正といった時代の文学が国語の教科書に取り上げられた時代でしたが、果たして現在の子供には理解出来るのでしょうか?

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真夏のストレンジャー アルフィー

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日本の夏の歌というと、大きく二つに分かれます。

一つは春に発売されるもので、これから夏が始まる!というエネルギッシュに溢れたもの、そして、夏に発売されるもので、過ぎ行く夏を惜しみ、ひつ夏の別れを歌うものです。

アルフィーの「真夏のストランジャー」は、その後者に当たります。

猛烈に暑く短い夏・・・そんな日本の夏故に、刹那的な恋が生まれ、そして消えて行く・・・。

お盆を過ぎると、海水浴場から人が消え、秋風が吹き始めます。そんな季節の移ろい故に、古くから様々な歌があるのです。

私の住んでいるバンクーバーでは、5~6月位から9月一杯はずっと夏…といった感じなので、こんな刹那的な感傷に浸る文化もありませんし、そんな歌もありません。

一体どちらが文化的に上なんだか・・・?

この歌は、アルバム曲ですが、当時ベストテンにもランクインしています。しかし、ベストテンの規定として「シングル曲」というのがあった為、出演はしていませんが・・・。

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Lotus Love YMO

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以心電信(予告編)の何だコレ?の後に始まるのが、このLotus Loveです。

何処と無くオリエンタルな雰囲気の漂うメロディー、そして、仏教の輪廻転生、生命の神秘を思わせる歌詞…脳裏に思い浮かぶのは、天竺の様な光景です。天才細野晴臣の持ち味が存分に発揮されています。

当時の私の周りのYMO仲間の間では、余り良い評価の無かったこの曲ですが、私にとっては、密かに好きな曲でした。

YMOといえば、元々細野晴臣がマーティン・デニーのファイアークラッカーのカバーをやりたいという辺りから始まったと言われていますが、マーティン・デニーといえば、東洋風の音楽を演奏するアメリカ人として知られたアーティストです。

細野晴臣の作品に多く見られるオリエンタルな雰囲気は、正に和製マーティン・デニーといった所なのでしょうか?

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ソニーα100

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SONY DSC
– 左側がソニーα100、右側がパナソニックL1です。

2005年にアメリカ大陸横断の旅をした時、初めてのデジカメ、コンタックスTvsデジタルを携帯し、その写りの良さから、フィルムとの併用は、コレが最後になり、以降デジタル一本になりました。

そうなると、一眼レフが欲しいと思う様になるのは当然なのですが、私はフィルム時代、キヤノンF-1を最後まで使っていたので、そのまま使用できるシステムはありませんでした。

要するに何を買っても良い状態だった訳ですが、量販店で色々と弄って見た結果、印象が良かったのが、意外と思われるかも知れませんが、オリンパスE-500と、ミノルタα7Dだったのです。

当時はオリンパスのコダックセンサーなんていう知識も無く、只何となく持って操作をした感じが、自分のフィーリングに合っていたのです。

私は、かつてのニューF-1での失敗から、この事を重要視しているのです。

ミノルタは、フィルム時代から好きなメーカーだったのですが、何故か一度も縁の無いメーカーでもありましたが、アメリカ旅行中、当時既にカナダでミノルタの販売が終了しており、その辺りからしても、将来性は大丈夫か?という不安があったのも事実でした。

しかし、年明け早々、ミノルタがカメラからの撤退を発表し、そのマウントをソニーが継承するという話しになりました。

当時、既にソニーは、コンパクトカメラでカールツァイスのレンズを使用しており、もしかしたら、一眼レフにもカールツァイスが…という期待をしていたら、ソニーからα100の発表と同時に、レンズのラインナップも発表され、その中にカールツァイス・バリオゾナー16-80mm F3.5-4.5というレンズも含まれていました。

コレは嬉しいニュースでしたが、このレンズの発売は、翌年になるということでした。

そして、同時期に発表されたのが、パナソニックL1でした。
パナソニックも、既にライカブランドのレンズを使ったカメラが存在していたことから、ライカレンズの採用を期待していたところ、コチラはライカ14-50mmF2.8-3.5というレンズとのセットで発表されました。

こうやって、デジタル版ライカvsカールツァイスのバトル???が始まったのですが、結局私がソニーに手を出すことはありませんでした。

その理由は、目的のレンズの発売時期、そして、当時の唯一の機種がα100であったことでした。
α100自体、当時の入門機としては平均的なところだったと思うのですが、やはり、入門機レベルの作りに、イマイチ満足できず、それよりも、むしろネットで見かけるパナソニックL1+ライカレンズの作例の方が気になったからなのです。

もし、あのツァイスレンズがもう少し早く発売されていたら、また事情は違っていたのかも知れません。

あるメーカーが新たに一眼レフに参入するに当たり、どのレベルの機種を最初に投入するのが妥当なのでしょうか?

高級機では、技術レベルを見せ付けることは出来ても、手軽に購入出来ないので、市場のパイが広がりません。

入門機だと、販売量は期待できても、半面、ブランドイメージもそこで定着してしまう恐れもあります。

中級機だと…入門機に比べ、より高度な技術を見せることも可能ですが、同時に値段も高く、それがソレがストレートに売り上げに結び付くかどうかは、未知数です。

例えばミノルタの場合、中級機のα7Dを最初に出し、遅れてα Sweet Digitalを出したのは、まあ妥当な所であったと思いましたが・・・。

ソニーの場合、最初に入門機を出したこと・・・結局ソレが、当時の私のタイミングにマッチせず、それ故にパナソニックL1の兄弟機、ライカ・デジルックス3を買うことになりました。

しかし、既にフォーサーズは撤退済みで、ソニーAマウントも風前の灯、以前使っていたのがペンタックスS、オリンパスOM、キヤノンFDと、つくづくマウントには運が無い様です。

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アリス 音の響き

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何時の頃からでしょうか?夏という季節が暑いだけで嫌いな季節になったのは?

確かに今の夏は、私の子供の頃よりも明らかに暑く、不快な季節になりました。少なくとも当時、毎日35度なんてことは、有りませんでした。しかし、果たしてそれだけなのでしょうか?

確かのあの頃は、ワクワクする何かが有った…友達がいて、日が暮れるまで、毎日の様に遊びに行き…そんな永遠とも思えた時間も、とうの昔に置いてきてしまいました。

アリスの「音の響き」…この曲を聞くと、そんなあの頃が脳裏に浮かびます。青い空、入道雲、蝉の鳴き声、目の前に広がる田んぼの吸い込まれそうな緑…そして、そんな中で友人と遊ぶ私…。

作詞は矢沢透の手によるものですが、やはり谷村新司とは一味違う何かがありますね…。

この季節になると、必ず聞きたくなる一曲です。

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ナショナル・ビームアップ

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1980年といえば、科学文明時代の幕開けとも言える年で、少年自転車の世界も例外ではありませんでした。

70年代後半のスーパーカーブームは、自転車の世界にも波及し、リトラクタブルライトは当たり前、4灯リトラクタブルライトまで登場する始末でした。

そして、リトラクタブルライトとは言っても、ランボルギーニやフェラーリの様な上下開閉式ばかりではありません。

ポルシェ928の様なライズアップ(立ち上がる)式というモノもあり、ソレをモチーフにしたのが、ナショナル・ビームアップだったのです。

コレを最初に目にしたのは、学研・科学と学習の背表紙だったと記憶しています。

「ぼくは見た・・・暗闇の中に立ち上がる光を!」というキャッチフレーズと共に・・・自転車の部品をちりばめたサイボーグと共に、大いに印象に残ったものでした。

フォトショップも無い当時、実際に、このサイボーグは製作されたのでしょう・・・張りぼてにしても・・・。

普段はライトが寝ているので、ライトを閉じた状態で発電機を倒したらどうなるのか?空を照らすと思っていたら、その時は寝ているヘッドランプは点灯せず、前を向いているマーカーライト(フォグランプ)のみが点灯し、ヘッドライトが立ち上がると、ヘッドライトが点灯し、マーカーライトは消灯する・・・という凝った仕組みになっていました。

少し改造すれば、両方点灯できるようにもなるんでしょうね・・・。

私の周りでは、一人所有者がいましたが、余りにも増え過ぎたリトラクタブルライトに抵抗して・・・という感じでも有ったと思います。

人気と言う面ではイマイチだったものの、雑誌広告と共に、強烈な印象を残した事は間違いありません。

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ソニーAマウントの終焉が近い?

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こんな噂があります。

まあ、コレも現状を考えれば当然の流れとは思いますが・・・何か寂しいですね・・・。

実は私がデジタル一眼レフに初めて手を出す時、候補に挙がっていたのが、ソニーα100と、パナソニックL1だったのです。随分とアレな組み合わせですが・・・。

コンタックスTvsデジタルで、カールツァイスレンズの凄さを知った私は、デジタル一眼レフを選ぶに当たり、気にしていたのは、レンズでした。

当時、ソニーがカール・ツァイス・バリオゾナー 16-80mm F3.5-4.5を発表したこと、そして、ほぼ同時期に、パナソニックL1がライカ14-50mmF2.8-3.5とのセットで発表されました。

デジタル版ライカVSツァイス・・・色々考えましたが、結局ボディー自体がパナソニックの方にいい印象があったこと、そして発売時期等から、パナソニックL1・・・ではなく、結局、兄弟機のライカ・デジルックス3に落ち着きました。

ミノルタのファンでもあったのも、ソニーを候補に上げた理由でしたが、当時唯一販売されていたα100は、やはり入門機という印象が強く、イマイチ触手が伸びなかったのです。

そんな具合にフォーサーズに手を出した私でしたが・・・。

過去35年間カメラと付き合ってきて、多くの「マウント変更」を目の当たりにしてきました。

何時ものパターンが、新しいマウントが登場した時、「従来のシステムも継続する」というアナウンスが必ずあります。
しかし、実際は・・・従来のシステムは放置状態となり、新システムばかりになり、その間も旧システムのオーナーに期待を持たせる様な発言をしつつ、ある日、いきなり撤退の発表です。

キヤノンFD、ミノルタMD、オリンパスOM、フォーサーズ・・・様々なマウント変更を目の当たりにした結果、皆やり方は同じでした。

マイクロフォーサーズの時ですら、フォーサーズの撤退は無いと言い続け、ユーザーに期待を持たせ続けた挙句の撤退でした。しかし、それでもミラーレスという圧倒的なコンパクトさから受ける恩恵も理解できたので、切り替えに後悔はしていません。

しかし・・・かつて迷った両者共に撤退となると・・・つくづく私は「マウントを見る目」が無いことになってしまいます。

ペンタックスS、オリンパスOM、キヤノンFD、フォーサーズ・・・そして現在がマイクロフォーサーズ・・・。

かつて、あのα7000に驚き、何時かは・・・と思っていたマウントの消滅となると、やはり寂しいものですね・・・。

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リンカーン・コンチネンタル・マーク5 アメリカ政府との繋がり???

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LIncoln Continental Mark5

アメリカ車のデザインというと、直線的なゴシック調・・・という印象が強いですが、それは何時頃からなのでしょうか?

80年代の日本車は、とにかく直線的で角ばったデザインが多かったのですが、アメリカでは、それが一足先に始まっていました。

写真は77年に発売されたリンカーン・コンチネンタル・マーク5です。先代のマーク4に比べると、明らかに直線的なデザインになっています。

そして77年といえば、GMがフルサイズカーの第一回ダウンサイズを施した年に当たりますが、リンカーンの方は逆に大きくなっており、全長5.85M、全幅2.01Mという、途轍もなく巨大な車になっていました。
まあ、このサイズは、あの無骨な5マイルバンパーに拠るところが大きいのですが・・・それにしても、この収納式ヘッドライトとフロントバンパーだけで、50センチは消費しているのでは?と思える位です。

因みに77年型GM車も、デザイン的に、より直線的になっており、かつてのグラマラスな雰囲気は、随分とスポイルされています。

Lincoln Continental Mark5-2.jpeg

時代的に排ガス規制が始まった時期にも当たり、巨大になった反面、エンジンは7.5リッターから6.5リッターにダウンサイズされる等、大型化の反面、全体的にパワーダウンしているのがこの車の特徴です。

FRにも拘らず、このフロントオーバーハングが凄まじいですね・・・。それでも不思議なバランスを保っているのが面白いところです。

80年に登場するマーク6は、デザインこそ継承しているものの、大幅なダウンサイズが施されており、その辺りからも、この辺が最後の古き良き?フルサイズカーと言えるのかも知れません。

それにしても、今この記事を書いていて思ったのですが、このマーク5が発売されたのは77年、丁度オイルショックの影響が一段落して、再びフルサイズに顧客が戻った時期に当たり、そして、ダウンサイズされたマーク6が登場したのが80年、第二次オイルショック勃発の直後でした。

車の設計というのもは、最低でも数年を要し、オイルショックに合わせて急に設計変更する様な事は不可能です。それが、これだけ丁度良い時期に発売されたという事実・・・・やはりある程度、フォードという会社が、政府と繋がっていた様な気がしてならないのですが・・・・。

Lincoln Continal Mark5-3

因みに、かつての国防長官ロバート・マクナマラは、元フォードの社長でもあり、70年代当時のフォード社長、リー・アイアコッカ氏は、その部下であったことも知られているところです。

オマケにアイアコッカ氏は、早い時期からFFの小型車の必然性を説いていたものの、それが当時の会長、ヘンリー・フォード2世に握り潰されており、後にクライスラーで、そのプロジェクトが実を結んでいます。
そして、アイアコッカ無き後のフォードは、オイルショックの影響から、長い低迷期に入ることになりました。

この辺りからして、やはりアイアコッカ氏は、普通の人とは一味違う情報通だったのではないでしょうか?

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