アメリカ2017 シカゴの雪景色

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インディアナに行った翌日、雪が積もっていました。しかし、シカゴは降雪地帯であるため、道路や歩道に雪が残っていることはありません。

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3月も半ばというのに、この寒さは尋常ではありません。連日25度(華氏)という低温に加え、ミシガン湖からの風が吹き付けますが、やはり晴れているよりは楽です。

昼間は雪も余り降っていなかったので、昼食には、既に述べたBilly Goat Tavernに行きました。ココは、陸橋の下という立地条件から、正に隔離された世界なのです。

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しかし、いざ店の外に出るそ、そこは極寒の世界…とても歩き回る気にもなれず、私としては、比較的足早に一度宿に戻りました。

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暫く休憩してから、再び外出したのですが、今度は凄まじい雪に…。

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正に吹雪と言える状態です。

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こんな時でも電車が不通に走るのは、さすが雪国です。

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コレだけ雪が降ると、オートフォーカスが本当に雪にピントを合わせてしまいます。

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夜になっても雪は降り続いています。

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吹雪に煙るシアーズタワー・・・。

やはりバンクーバーなんかと違い、コチラの雪は、降り始めてから積もるまでが、物凄く早いですね・・・。

いくらシカゴとは言え、3月の半ばにもなって、こんなに雪が降るとは思いもしませんでした。

ゴダイゴ ポートピア

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1981年に開催された神戸ポートアイランドの完成を祝う「ポートピア81」は、盛大な博覧会として、大いに話題になりました。

神戸の沖に浮かぶ人工島、そこに作られた新しい都市…正に来る80年代の科学文明時代を予感させるに十分なものだったのです。

そして、そのポートピア81の主題歌を歌ったのが、ゴダイゴでした。
上の動画が、当時のCMのモノですが、大変に良い雰囲気に仕上がっています。1980年3月頃に放映されたもので、この直後に脱退するスティーブが写っていますね!

私が思うには、この曲は元々CM用の30秒のバージョンが先に出来ていたのではないでしょうか?

5月には、この曲がシングルカットされるのですが、正直コチラには、良いイメージが無いのです。

先ず、曲の本体と全く関連性を感じさせないイントロ、間奏…この辺りを何とかしただけも、もう少しマシになったと思います。

ソレに、この曲からは、CMでは感じられた生き生きとした雰囲気が伝わってこないのです。

ゴダイゴというバンドは、タケカワユキヒデが全面に出てきますが、実際にはミッキー吉野のアレンジ、そしてスティーブのベース、そして音響があってこそのバンドだったのです。

やはりこの曲からはイマイチゴダイゴならではのリズムを感じないのは、スティーブのベースが無いからなのでしょうか?

かつてのゴダイゴの、爽やかで軽快ながら、力強さを併せ持つ、あのゴダイゴサウンドは、音響を担当していたスティーブの脱退と共に消えています。

最初の30秒バージョンに比べて、フルバージョンがイマイチ…。コレは、宮崎美子のCMでも感じたことでした。この曲は、元々CM用の30秒バージョンが有り、予想外のヒットから、ソレに継ぎ足した様にフルバージョンが出来たのですが、どうも消化不良気味だったのですが、このポートピアも、そうだったのかも知れません。

ミッキー吉野は、ゴダイゴの名アレンジャーとして活躍しました。スローでクラシカルなモンキーマジックを、瞬時にあのようなオリエンタル感溢れるロックに仕立てたのも、同じくバラード調の銀河鉄道999を、あんなアップテンポで躍動感溢れるサウンドに仕立てたのも、皆ミッキー吉野の手腕によるものでした。

やはりスティーブの脱退が相当響いたのか、この曲は、ソレが上手く行っていない様に思えて残念です。

スティーブのベースが消え、スティーブの音響が消え…やはり以降のゴダイゴが上手く行かなかったのは、仕方ないのかも知れません。

キヤノンFDマウントの話し

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New FD
– ニューFDマウント…レンズの外側のみが回転します。

キヤノンFDマウントは、私が写真を初めた80年代初頭、最も完成度が高く、それ故にA-1が世界に先駆けてマルチモードAEを採用することが可能で、それどころか、あの超多機能のT90まで、完全な互換性が保たれていたんですから、その先見性には、改めて驚かされます。

さて、このFDレンズというのは、現在のバヨネットマウントとは異なり、レンズのマウント部にある締め付けリングを回す「スピゴットマウント」と呼ばれるものでした。

バヨネットマウントというのは、レンズの着脱時にレンズ全体が回転するのですが、スピゴットマウントの場合、レンズ本体は回転せず、締付けリングのみが回転するので、一眼レフの初期、自動絞りの様なレンズとボディーの連携を行う上で、やり易いと考えられたのです。

このスピゴットマウントというのは、一眼レフの初期に見られたもので、ペトリ、ズノーと言ったメーカーも採用していましたが、その両方とも、既に消え去っています。

キヤノンは一眼レフの初期に躓き、一眼レフではイマイチなイメージが付きまとったものでしたが、71年にF-1と共にFDレンズを発売し、一気に挽回に回りました。

Canon FD mount
– 旧FDマウント…銀色の締付けリングが外観上のポイントです。

この時点でボディー側から絞りをコントロールするシステムを完成させており、ソレが、後のマルチモードの礎になるのですが、やはりレンズ交換がイマイチやり難い…というのも、また事実だったのです。

片手でボディーを持ち、片手でレンズを持ち、締付けリングを操作するには、腕がもう一本必用…なんて言われたものでした。

しかし実際には、レンズをボディーに押し付けると、軽く締め付けリングが回転して、それで外れない位まで止まってくれるので、実際には腕3本は要らないのですが・・・。

それでも、締付けリングというのは、やはり普通のバヨネットマウントよりも力が要るのは確かで、強く締めすぎて外れない…なんてことも、実際に有ったのです。

プロのユーザーが増えるにつれ、この辺りに改良を望む声が上がったのです。

その声に応えるべく登場したのがニューFDレンズですが、コレは言ってみれば、レンズ本体が締め付けリングになっていて、絞りに関連する部分だけが回転しない、言わば二重構造になっているのです。

コレによって、普通のバヨネットマウントに引けを取らない操作性を身に着けたのですが…やはり、ソレと同時に構造も複雑化しており、後のEFマウントの採用は、AF云々よりも、寧ろこの複雑な構造を捨て去りたかったというのが本音だったのです。

まあ、実際にあの時に旧式の連動方式を捨て去ったことで、今だにEFマウントが高い互換性を誇っていることから、アレがベストのタイミングだったと思います。

反面、その複雑な構造の割に、何本も持っていたFDレンズでトラブルを経験したことは無いので、高い品質で生産されていたのでしょう。

しかし、キヤノンがニューFD化したのに、レンズメーカーは、皆旧型のスピゴットマウントのままでした。
今から考えれば、ニューFD方式にするには、鏡胴から全て設計が違ってくるので、採用できなかった訳ですが、中学生の私にはソレが理解できず、レンズメーカーに何時ニューFD方式が発売されるのか、問い合わせたことがあります。

その時の回答として、ニューFD方式は、特許で固められていて採用出来ないという事でした。
こんな独自の方式で特許取って、何かメリットでも有ったのでしょうか?

そんな中で、皆レンズメーカーは締め付けリング式で通したのですが、一番頑張ったのがシグマで、締付けリング式ながら、ロックボタンを持っており、他のメーカーよりも操作性が上でした。

トキナーレンズの思い出

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Tokina AT-X80-200mm F2.8         – トキナーAT-X80−200mmF2.8…コレは画期的でした。

現在、レンズメーカーと言えば、タムロン、トキナー、シグマの3社に絞られました。

そんな中で80年代初頭、トキナーと言うと何とも地味な感じのメーカーで、例えばタムロンは、マウント交換で有名で、シグマは一足先にメーカーに合わせてピントリングの回転方向を変える等、きめ細かい製品を展開しているのに対して、特にコレと言った個性を感じない、古臭いメーカーというのが正直な印象でした。

そう言えばプリセット絞りの800mmF8、600mmF8なんてのも有り、コチラはTマウントの交換式でした。

当時はトキナー光学という社名でしたが、1999年にケンコーの傘下に入っています。

Tokina-70-210mmF3.5

そのトキナーが一躍注目を集めたのが、70〜210mmF3.5という当時最も人気のあった望遠ズームを、6.5万円から4.5万円まで大幅な値下げを行った時でした。

しかし、テフノンが2.6万円なのに、ソレに比べたら、それでも随分と高い…と思いましたが、そのメーカーの大幅値下げというニュースは、非常に印象的なものでした。

しかも、トキナーの価格は定価であり、実際の売値は、テフノンのソレとほとんど変わらなかったので、コレは非常にいい価格設定だったと言えます。

更にトキナーが注目を集めたのは、80−200mmF2.8というズームを出した時でした。

当初のモデルはMFの直進式ズームでしたが、コレが出た当時、F2.8のズームというと、ペンタックスME-F用の35−70mmAFズームと、ニコンの80−200mmF2.8の2本しか無く、しかもニコンのソレが40万もしたことから、トキナーの12万という価格設定は驚異的なモノで、報道カメラマンを初め、多くの人に愛用され、そしてニコンも後に値下げを行いました。

この時から、トキナーもピントリングの回転方向を各メーカーに合わせる様になる等、地味なトキナーが一気に反撃に出たのです。

Tokina-AT-X60-120mmF2.8 - Tokina AT-X60-120mmF2.8…焦点距離が地味なせいで、人気はイマイチでした。

その後、F2.8シリーズの第二弾として60−120mmF2.8を投入し、そのボケの綺麗さ、描写の素直さで評判になり、他にも100−300mmF4、35−70mmF2.8、24−40mmF2.8といった具合に大口径ズーム=トキナーという時代になったのです。

私はその中で、100−300F4を買いました。確かにコレ、いいレンズだったんですが、10代の頃の体力に溢れる私であっても、やはり重くて大きいことから、望遠レンズ=特殊レンズという位置づけになってしまいました。

後にサンダー平山先生のアドバイスでキヤノンニューFD100mmF2を買うまで、望遠はコレしか持っていなかったのです。

後に、長期在庫品の60−120も購入しましたが、比較的落ち着いた色調ながら、結構描写自体悪くなかったと思っています。

コレもフィルム最終期に買ったこと、そしてフィルム自体ソレ以降使わなくなったこともあり、大して使うこともなく、現在実家で眠っています。

ズームの大口径化の先人を切ったメーカーとして、80年代半ばのトキナーは、非常に魅力的だったと言えるでしょう。

因みに北米では、同製品がビビターのブランドで結構売られていた様ですね。

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アメリカ2017 Billy Goat Tavern ビリー・ゴートの呪い

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Billy-Goat-Tavern昨年は、実に108年ぶりにシカゴ・カブスがワールドシリーズで優勝を果たしました

大いにシカゴ市民を沸かせたこの出来事…これで「ビリー・ゴートの呪い」が解けた…多くのシカゴの人たちが、そう思ったのです。

飲食店””Billy Goat Tavern”を経営していたビリーは、何時もペットの山羊マーフィーを連れてシカゴ・カブスの本拠地リグリーフィールドで野球観戦をしていました。

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– 何も無い殺伐とした高架の下に、突如姿を表します・・・。

二人分のチケットを購入し、彼としては何処に行くのもマーフィーと一緒だったのですが・・・。

1945年のワールドシリーズに出場したのですが、その2対1でカブスがリードして第四試合をを迎えますが、その試合をマーフィーと共に観戦していたところ、ニオイを理由にクレームが付き、追い出されることになったのです。

それに激怒したビリーは、リグリーンフィールドのオーナーに対して「ワールドシリーズは負ける、そして、二度とワールドシリーズで勝つことは無いだろう!」と言ったそうです。

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まあコレには諸説あり、家族は電報を打ったと証言している様です。

ところがその後、カブスは目に見えて調子が悪くなり、その第四ゲームも落とし、それまでの好調だったのがまるで嘘の様に不調が続き、この年のワールドシリーズも敗退しています。

その後も何回か良いところまで行ったものの、今一歩の所でワールドシリーズへの出場を果たせず、ソレを「ビリー・ゴート呪い」と呼んでいたのですが、昨年、シカゴ・カブスの優勝によって、やっとその呪いが解けたのです!

シカゴに行ったら、必ず足を運びたい店が、このBilly Goat Tavernです。

陸橋の下の地下街…如何にも怪しそうな雰囲気の場所で、ドアを開けると、何とも古典的な雰囲気に溢れています。

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– 古典的な雰囲気に、良心的な価格。

今回、例のセント・パトリック・デーのパレードの日に寄ったのですが、店内はビックリする位に混んでいました。

コレはチョット…と思っていたところ、店のオーナーと思しき人が、コレだけ人で溢れている中、わざわざ私の所に来て話しかけてくれたのです!

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余りに混雑していて、しかも凄まじい騒音の中、日を改めて来ると伝え、店を出ました。

翌日はインディアナに行き、その次の日、雪の中、散策ついでに寄らせてもらいました。

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下手するとハンバーガーが10何ドルもする現在のアメリカからすると、非常に良心的な価格でした。

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– こんなTシャツも売っています。色は、カブスのイメージカラーです。

ファーストフード店の様に、先に金を払うのも、この店の特徴です。かつてはキャッシュのみだったのが、今はクレジットカードも使えます!
寧ろ12年前に来た時よりも、ボリュームが増えていた様な気がしました。

そしてこの時も、例の方がわざわざ私の所へ挨拶に来てくれました。他の人にはやっていないのですが・・・。

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– ビリー・ゴートの呪いは終わった…コレはコレで寂しい気も…!

あとは、ココのコーヒー…注文時に砂糖やミルクを入れるかと聞かれ、入れる様に言うと、ドバっと無造作に…ソレが物凄く美味しいんでビックリしました!

オシャレとは無縁、現在の拝金主義的なアメリカ社会とは正に正反対の店、不思議な心地良さのある店ですね・・・。

結局今回、3回お邪魔しましたが、毎回同じように声を掛けていただきました。

行く前にネットで検索すると、室内の画像が出てきたのですが、物凄くキレイで明るく見えて、愕然としました。

時代とともにこんなに変わったのか…と。しかし、ソレはデジカメ故の画像処理であって、実際に行ってみると、昔と変わらぬ雰囲気が、そこには有りました。

今のデジカメは、ホワイトバランスやレベルを調節することで、どんな条件でも色調を上手く出す事ができますが、ソレをやると、逆に本来の雰囲気が出ないのです。

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フジカAX-5 AXシリーズの最高峰

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フジカAX-5

私が写真を始めた1981年当時、最もカメラファンに人気の有ったのが、マルチモードを搭載したキヤノンA-1でした。

A-1が発売されたのは78年、当時既に3年ほど経っており、その人気は誰もが知るところであったにも関わらず、意外とライバルが現れなかったのは、マルチモードを実現するには、何らかの形でマウントに手を加える必用が有ったからなのです。

A-1に先駆けて登場したミノルタXDにしても、両優先AEを実現するために、MDレンズに切り替えていますし、マミヤZE-Xは、マミヤお得意のマウント変更、そしてもう一台、フジカAX-5という機種がありましたが、コレもマウント変更を伴った機種でした。

フジカが一眼レフに参入したのは70年代になってからですが、M42マウントに、独自の方法で開放測光を実現したものでした。

M42マウントというのは、自動絞りまでは皆同じ方式なのですが、開放測光に関しては、各メーカー別の方式を取っており、その時点で既にユニバーサル・マウントではなくなっていたのです。

そして1980年に登場したのが、バヨネットマウントを採用したフジカAXシリーズでした。
絞り優先AEのみのAX-1、絞り優先+マニュアルのAX-3、そして両優先AE+プログラムAEのマルチモード機として登場したのがAX-5です。

このAXシリーズは、結構デザインも洗練されていて、当時の日本カメラショーの総合カタログなんかでも、結構良く見えたものでした。

右側全面には、キヤノンAシリーズを思わせる様な、4LR44型バッテリーを収納するスペースが有ります。当時はそれだけでも高性能の証の様に見えたものでした。

しかし…やはり私の住んでいた関西の田舎では、その実物すら見るチャンスも無く、1984年頃には、全てが生産中止になりました。

ただ、海外ではもう少し長く販売された様で、86年に当時私の父がアメリカから買ってきたカメラ雑誌には、まだAXシリーズは掲載されていましたし、フジカブランドを止めてフジにかってからのフジAXマルチプログラム、フジSTX-2という国内では販売されなかったモデルも、ランナップされていました。

このシリーズが短命に終わった理由は、やはりマウント変更を伴ったこと、そして、ソレが専用マウントであったことだと思います。

当時のペンタックスは、マウント変更のリスクを減らす為に、各メーカーにKマウントの採用を勧めたものの、同じM42陣営であったマミヤやフジカがソレに参入しなかったのは、やはりKマウントがシャッター優先AEやプログラムAEに対応していなかったからなのだと思います。

仮にKマウントに参入していたら…これもKAマウントになる時に非公開にするという裏切りを働いたので、結局上手く行った可能性は低いですね…。

やはり大手5社に比べてレンズのラインナップや、モータードライブといったアクセサリー類が少なかったこと、カメラ店で目にする機会が少なかった事…その辺りも大きな理由だったと思います。

当時は大手5社の他にも、フジカ、コニカ、マミヤ、ヤシカ、リコー等、様々な一眼レフメーカーがありました。

今日、フジノンレンズや、ヘキサノン、セコール等のレンズの優秀性は知られる様になったものの、それよりも例えば同じ50mmでも非球面のF1.2Lなんかを設定していたキヤノンのほうが単純に魅力がありました。

例えば今日極めて描写に評価の高いリコーの50mmF2ですが、幾ら描写が良いと言っても、当時のファンからすると、F2は安物レンズ以外の何者でもなく、それよりも、より大口径なレンズの方が持て囃されたのです。

そんな事から、「フジノンレンズを使いたいから…」なんていう人は、殆ど居なかったのではないでしょうか?

更に、キヤノンやニコンには300mmF2.8の様な特殊なレンズが揃っていたこと…そんな辺りもフジカに対して遥かに魅力的に思えたものでした。

ただ、このAXシリーズに関しては、一つ評価に値するのは、従来のM42レンズを取り付けるためのアダプターが用意されていたのですが、驚くことに、ソレはM42マウントのレンズで、自動絞りはおろか、プログラムAEまで対応出来るという優れものだったのです!

ペンタックス純正のアダプターが、ただ取り付けられるだけだったのと比べると、非常に真面目だったと言えるでしょう。

ところが、M42のユーザーも、アダプターを使うことで問題なく移行できた…とは言っても、その肝心のユーザーの数自体が少なかったのです。

こうやって見ていくと、やはりフジというメーカーは、それなりに良い技術を持っていたと言えるのでしょうが、その販売力、ブランドイメージといった面で敵わなかったのです。

現在は、マイナー路線に終始することで、それなりのシェアを得ているフジですが、一眼レフの歴史は、こうやって不振の歴史でもあったのです。

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アメリカ2017 シカゴ2

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– 黒い、角の生えたビルが、ジョン・ハンコック・センターです。

寒空の中、到着したシカゴ…宿は12年前に来たときと同じユースホステルです。

この地域は、80年代には治安の悪かった辺りなのですが、90年代に浄化が行われ、今は良い地域になっています。

普通なら、チェックインしたら荷物を置いて直ぐに出歩く私なんですが、この寒さでは、とてもそんな気にもなれません。気温も大体予想通り、マイナス5度を示していました!

とても外出する気にもなれず、その日は早く床につきました。

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翌朝は、ホステルの主催している無料のシティーツアーがあるので、ソレに参加しました。

ツアーガイドが居て、一緒に街を歩いて案内してくれる…という奴なのですが、それにしても寒く、マイナス8度辺りまで下がっていました!

流石にガイドの方も、無料で入れる温かい場所を何箇所も折り入れてのツアーでしたが、それでも途中で何人も離脱するという感じです。

_3118701– 轟音と共にシカゴの街を鉄道が駆け抜けます。真ん中のビルが、トランプタワーです。

乾いた空気にミシガン湖からの風が、一層身に沁みます。この日はセント・パトリック・デーのパレードの日でした。

セント・パトリック・デーとは、元々イギリス人によって始まったアメリカに、19世紀になると、主食のジャガイモの凶作に端を発し、アイルランド系の人が多数、アメリカに渡ってきたのです。

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イギリスとアイルランドというのは、宗教も違い、歴史的にも仲が悪く、そんな中でアイルランド系は下層階級として扱われたのです。

そんな彼らが、自分たちのアイデンティティーを示す為に初めたのが、アイルランドにキリスト教を広めたセント・パトリックを命日を祝う祭りで、アメリカでは、シカゴがその発祥とされています。

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シカゴ川は緑に着色され、非常に盛大なパレードなのですが、こんな寒い日に、凄まじい混雑の中、じっとしてそんな物見ている様な気にもなれません。

フリーツアーで歩いていた方が、まだマシなのです。

様々な建物のあるシカゴ…その一つ一つが非常にユニークな形をしているのが特徴です。今まで意外と知らなかったそれらの建物の話をきくのも、やはりいいものですね・・・。

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しかし、建物の谷間というのは、当然ビル風で強烈な寒さに晒されることになります。

そんな中でも、結構タダで入れる休憩スペースがあるのは、有り難いことです。

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ツアーが終わり、取り敢えず宿に帰ると、天気予報を確認しました。すると、明日までが晴天、その後は2日続けて雪になっているじゃないですか!

コレで予定はすべて変更しました。

この日は一日中シカゴの街を歩く予定でしたが、先ずは寒くてそんな気分にもなれませんし、セント・パトリック・デーのパレードの後とあり、街は人でごった返しています。

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取り敢えずこの日は、ジョン・ハンコック・センターの展望台に行くことにしました。

チケットは宿で前売り券を買っていたので、スムーズに入ることが出来ましたが、かつては無かった荷物検査があり、三脚は預けることになりました。

シカゴには、かつて世界一高かったシアーズタワー(現ウィリスタワー)が有名ですが、シカゴ全体の景色を見るという意味では、シアーズタワーの入った景色の見えるジョン・ハンコック・センターからの方が、よりいい景色が望めるのです!

セント・パトリック・デーということもあり、展望台も結構混んでいます。それにしても、随分と新しい建物が増えたものです。

それにしても気になったのが、新たにできたトランプタワーです。12年前に来た時は、シカゴ川で護岸工事をやっている様に見えたのですが、ソレがトランプタワーだったのです!

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かつて、ジョン・ハンコック・センターから南に向かってシカゴの街を見下ろすと、右側に見える角の2本生えたシアーズタワーがその真中に来たのですが、現在は、トランプタワーが真ん中に来るのです。

ソレを避けてフレーミングしょうとしても、どうも上手くいかないのです。

Lake-Michigan  – ミシガン湖は、まるで海のように見えます。

しかし、数年前にニューヨークに行った時も感じましたが、こういう撮影は、とにかくコンパクトなマイクロフォーサーズが良いですね。

こういう景色は、どうしても日没前後が一番いい雰囲気になるのですが、そうなると、必然的に暗くなります。

しかし、三脚は持ち込めません…。

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そんな時、フルサイズやAPS-Cの一眼レフを持っている人は、ISO感度をガンガン上げなければ駄目です。

ソレに対してマイクロ・フォーサーズの場合、明るく高品質なレンズが揃っている上に、強力な手ぶれ補正が搭載されているので、余り感度を上げずに手持ち撮影が出来る上に、状況に応じては、普通のテーブル三脚で問題なく使えるので、かえってこんな夜景には強かったりするのです。

この画像も、普通にISO200で撮影しています。

この日は段々と雲が多くなってきて、これ以上にはキレイにならなかったので、早目に切り上げることになりました。

外に出たら、より一層寒さが身に応え、本当はもっと街を見て歩きたかったものの、バスで帰りました。

アメリカ2017 シカゴ

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ケンタッキー州ルイビルの後は、シカゴに向かいました。
ルイビルは隣のインディアナ州との州境にあり、、オハイオ川を超えると、そこはインディアナ州になります。
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ー シンシナティーのダウンタウン

しかし、バスはストレートに北に向かうのではなく、先ずは北東のオハイオ州シンシナティーに向かいます。

この辺りは、かつての重工業地帯であり、現在は衰退の著しい一体で、その寂れた雰囲気は、バスからも十分に見て取れます。

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– インディアナポリス

シンシナティーの後は、インディアナポリス、ラファイエットを経由してシカゴに向かいます。

インディアナ州というのは、30年前、私が初めてアメリカで滞在していた場所なんですが、そこはシカゴから30マイル程のシカゴ文化圏に属する地域で、州都とはいえ、インディアナポリスとは殆ど縁がありません。

言ってみれば、千葉県でも、市川や船橋辺りの人が殆ど千葉市に来ないのと同じかも知れません。

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– ラファイエットの近郊に、スバルの工場があります。

ラファイエットは、大変に小さな町なのですが、バス停に人が溢れているのに驚きました。

ココにはパデュー大学があり、そこの学生が、休暇を利用してシカゴに向かうのでした。因みにこの大学は、アポロで月着陸したニール・アームストロング、ノーベル賞を受賞した根本英一氏、鈴木章氏でも有名です。

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– ラファイエットのダウンタウン

こんな何もないインディアナ州の真ん中に、こんな凄い名門大学があるのです!

インディアナ州というのは、私が初めて滞在したアメリカの州であることから、その景色が大変に懐かしく思えたものです。

どこまでも続く平坦な土地、ゆったりとした建物…ココだけは、あの頃とちっとも変わらない気がします。

それにしても、停泊の度に寒さが増していくのが気になるところです。

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– ゲーリー周辺では、こんな光景が続きます。

インディアナの最北部、あの悪名高いゲーリーに差し掛かったところで、日没を迎えました。ココはマイケルジャクソンの出生地として有名ですが、あの時と全く変わっていない様な・・・。

ゲーリーまで来れば、シカゴは目前です。
面白いことに、この少し前辺りで、時間の変更があるのです!

インディアナ州の中には、2種類の時間帯が存在しており、ゲーリー等、州の北西部は産業的に繋がりの深いシカゴに時間を合わせており、それと南西部の一部以外は、ニューヨークなんかと同じ東部時間になっているのです。

同じ州に2種類の時間帯…例えば違う時間帯の人の家に指定された時間に行く…となると、注意が必要なのです。

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見覚えのある景色を通過して、ようやくシカゴの名物シアーズタワーが姿を表しました。

前回訪れたのが2005年・・・12年ぶりで、最初に訪れてから実に30年ぶりの再開です。

様々な思いを巡らせながら、夕闇の中、シカゴに到着しました。
そして外に出ると…あまりに寒いのに驚きました!

ルイビルでは桜が咲いていたというのに、ココは間違いなく氷点下です!
トータル8時間のバス旅行、僅か300マイルの距離で、ここまで気候が異なるのには驚きました!

本来シカゴも、この時期には5度位にはなっているはずなのですが…。

こうして12年ぶりのシカゴは、強烈な寒波で私を迎えてくれました!

アメリカ2017 フォード・フュージョン・ハイブリッド

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_3087910 – それにしても不細工なデザインです。

今回ケンタッキー州でのドライブに使ったのが、フォード・フュージョンでした。

それにしてもアメリカのレンタカーというのも、随分と小さくなったものですね。
小型車は、トヨタ・ヤリス、シボレー・スパーク、フォード・フィエスタ、ヒュンダイ・アクセントといったモノが一般的です。

コンパクトでニッサン・ヴァーサ、フォード・フォーカスといった具合です。

そしてミッドクラスとして、やっとカローラ、シボレー・クルーズといった車種が出てきます。

カローラがミッドクラスって…そんな中でフュージョンは、フルサイズという扱いになるのです!

折角だからアメリカらしい?車と思い、しかも料金的にも保険も全て込みで70ドルと比較的リーズナブルだったので、借りることにしました。

ハイブリッドの上に、その他あらゆる装備満載で、走行距離も3000マイル程度の新車です!

しかし、乗り込んだ感じというと、何とも無駄にボディーが分厚いと言うか…外寸の割に、室内が意外と小じんまりしているのは、アメ車の伝統です。やたら寝かせたフロントガラスの影響も大きいことでしょう。

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シフトノブはダイヤル式、パーキングブレーキも電動式…私の最も嫌いなタイプです。この手って、パーキングブレーキが掛かっているかを確認する方法って、本当にランプしか無いんですよね・・・。

それにしても、随分と大きな車に感じます。運転席に座ると、本当に前は何も見えません。幸いパワーシートなので、高さを調節したら、ボンネットの先が見える様になりましたけど。

相変わらずドアガラスと運転者の距離が異様に近いのも、アメ車の悪しき伝統ですね。

更に後方視界が絶望的に悪いのも・・・。

流石に高速も余裕があるのですが・・・やはり当然なのですが、かつてのアメ車のソレではありません。

まるでドイツ車の様な乗り心地で、結構路面のショックが伝わってくる、いわゆる硬目の設定です。

しかし、高速でレーンチェンジなんかをすると、意外と踏ん張りが聞かず、ヨレッとなるのです。

言ってみれば、ドイツ車の硬さと、日本車の腰砕け感を、悪い次元でミックスした様な…と言えるでしょうか?

要するに、両者の悪いとこ取りですね。

シートは比較的カッチリしているものの、だからと言ってドイツ車の様な快適さがある訳でもなく、特別な印象もありません。

更に絶望的なのが、トランクの小ささです。まるでカプセルホテルの様に幅が狭く、奥行きだけあるという感じで、正直、最大サイズのスーツケースを載せたら、あとは何も載らないという感じでしょう。

カローラの方が余程大きなトランクを持っています。

リアシートも、私に丁度良く運転席を設定した所、レッグルームは十分に広いものの、やたらドアガラスが近く、しかもリアガラスに頭が当たるのも、やはり今の米国車のソレです。

久々に長時間アメ車と接して思ったこと…やっぱり駄目だな…でした。
室内空間から乗り心地、トランクスペース…何を取っても、例えばホンダ・アコードでなく、敢えてコレを選ぶ理由は、何処にもないというのが正直な印象でした。

まあ、ハイブリッドで200マイル走行して1ガロン50マイルという燃費を記録しましたが・・・。

アメリカ2017 ケンタッキー州ドライブ

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ケンタッキー州ルイビル…正直街としては特別魅力のある所ではありません。

寧ろ田園風景を見る所なのでしょう。

そこで、レンタカーを借りることにしました。アメリカでレンタカーを借りる場合、ダウンタウンにあるレンタカー会社から借りるという手もありますが、そうなると、営業時間の関係で返却時間が早目になってしまいます。

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そんな場合、24時間営業となっている空港で借りるという手もあります。
ルイビル国際空港では、レンタカー会社のカウンターが並んでおり、その中で手頃な会社から借りたのが、写真のフォード・フュージョン・ハイブリッドでした。

車を借りて宿泊先のモーテルに戻り、翌日ドライブに出かけました。
普段はホステルの様な所に泊まる私ですが、ココでモーテルに泊まった理由は、ルイビルという街には、ホステルが無いからなのです!

その辺りからしても、観光地ではなく、長距離旅行車が途中停車する街なのです。

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行けども行けども雑木林のテネシー州に比べ、こんな田園風景が延々と続きます。

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ケンタッキーと言えばダービー、馬の放牧をアチコチで見掛けます。

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ケンタッキー州の建物は、こういうレンガ造りが目に付きます。コレは、この土地が粘土層の上にあるからだそうです。

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平凡な農家の家でも、屋根の作りなんかが何となくオシャレなのが、ケンタッキー州の特徴です。

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隣町のレキシントンを目指したものの、正直見るべきものも無いので、早々と先を急ぎます。

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突如として農村風景に姿を現すコレ…。

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Castle Postという建物で、Castle家によって1969年に建設されたもので、当主がヨーロッパ旅行に影響されて建設されたものだそうで、現在は、モーテルとしても使われているそうです。

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ケンタッキー州といえばコレ、アメリカを代表する音楽家ステファン・フォスター作曲の「ケンタッキーの我が家」の舞台になった家で、現在はMy old Kentucky Home State Parkとして保存されています。

♪The sun shines bright in the old Kentucky home,
Tis summer, the people are gay;
The corn-top’s ripe and the meadow’s in the bloom
While the birds make music all the day.
The young folks roll on the little cabin floor
All merry, all happy and bright;
By’n by hard times comes a knocking at the door
Then my old Kentucky home, Good-night!
Weep no more my lady. Oh! Weep no more today!
We will sing one song for my old Kentucky home
For the old Kentucky home, far away.

現在は、この歌詞がケンタッキー州の州歌として採用されていますが、2行目のPeopleは、原曲ではDarkiesとなっています。

コレは黒人を表す当時の表現なのですが、現在は差別用語に当たるとして、書き換えられているのです。

しかし、フォスターのこの歌の何処に差別意識が有るでしょうか?寧ろ悲劇に対する哀れみを唄った歌なのですが…人権屋というクズ連中の前では、こういう事になってしまうのです。

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かつての広大な農場は、現在ゴルフコースとなっていますが、広大な敷地は緑のままで保存されています。

しかし…ケンタッキー州では、この「ケンタッキーの我が家」は州歌として知られているものの、ソレ以外のフォスターの歌は、全く知名度はありません。

ツアーガイドの方が、フォスターの歌を色々と挙げ、知っている人は手を挙げる様に言うのですが、皆殆ど知らないのに驚きました。ガイドの方も、ココに来る日本人は、私も含めて殆どの人がよく知っていると仰っていました。

ステファン・フォスター自体も「そういえば聞いたことあるかも・・・」程度の存在なのです。

アメリカという国は、文化を大切にしない、低俗なラップしかない国なのです。

因みにこの建物の中は、一切撮影禁止となっています。

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ココの近くに、Bardstownという小さな町があります。

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本当にストリート一本の小さな町です。

 

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_3098286こういう景色…本当に車が残念ですね…。

余り道草食っていると、返却時間に間に合わないので、空港を目指すことにしました。

この日の走行距離は200マイル、消費したガソリンは4ガロン…ということは、1ガロンで50マイル走ったことになります。リッター21.05kmということになります。

ハイブリッドのせいか、殆どが高速走行だったとは言え、このクラスのサイズにしてはかなり燃費が良かったと言えます。

空港からの帰りは、ダウンタウンまでバスで行くのですが、前日もそうだったように、殆ど乗客がいなかったのは、何なのでしょうか?
折角ダウンタウンから直行のバスが有ると言うのに・・・。

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ダウンタウンに着いた頃には、既に暗くなり始めていました。夜の散策を・・・と思ったものの、流石に疲れたので、宿に戻ることにしました。

ココの宿の近くでは、高速の入口に近いせいか、安いファーストフード店が沢山ありました。

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地元の店なのですが、こんなのにスーパーで買っておいたサラダミックスを挟んで食べた方が、下手なレストランで20ドルも出すよりは遥かにマシです。