学研から月刊CAPAが創刊されたのが1981年10月、丁度キヤノンからニューF-1が発売された時期になります。
従来カメラ雑誌というと、アサヒカメラ、日本カメラ、カメラ毎日(85年に休刊)の御三家が圧倒的でしたが、それらは非常に高価なこともあり、当時の中高生の小遣いでは、なかなか手が届かない存在でした。
そんな中、一足先に発売されたモーターマガジン社の月刊カメラマンは、より中高生にターゲットを向けた紙面作りで人気を得ており、CAPAは、その路線をより一層突き進んだ感じであったと思います。
巻頭カラーページは、デビューしたてのアイドルであったのも、当時の読者層を考えてのことだったことでしょう。
そして、CAPAの特徴は、写真撮影そのものよりも、カメラ自体に主力を置いたことだと思います。時代的にはキヤノンA-1やニコンFEが読者の間でトップクラスの人気を誇っていた時代で、それらを支持していたのは、他でもない中高生だったのです。
読者参加型の撮影会やニューモデルのテストもあり、そして何といっても、読者のスペース、通称「ドクスペ」と呼ばれたページは大変に賑わい、中には、常連で後に編集部員になった方も居ます。
更には、ドクスペ新聞なるものも作られていましたが、此方は有料であったこともあり、私は購入しませんでしたが、現在、コチラで全て見ることが出来ます。
手書きのガリ版刷りみたいなつくりが何とも・・・。
当時、ドクスペ担当で、不真面目キャラで通していた若手の高田準氏も、後に編集長になられましたが、その後の消息は掴めません。
他にも、当時から鉄道写真やアイドル写真のコーナーがあり、個人売買欄では、アイドルの写真の売買もされていました。
このアイドル写真のパイオニアともいえる同誌ですが、後にこの手の投稿写真の専門誌も複数創刊され、アイドルのプライバシー侵害、所謂カメラ小僧問題が社会問題にもなりました。
ソレを理由に、パイオニアである同誌は、アイドル写真のコーナーを無くしています。丁度、あの岡田有希子さんの自殺の直後であったと記憶しています。
去年、久々に東京モーターショーに行きましたが、そこで気がついたのが、コンパニオンの撮影をしているのが、軒並み中高年であったことです。
かつて、その手の輩は若い連中ばっかりだったのに・・・。
当初CAPAの読者は中高生が中心でしたが、現在も、当時の中高生が読者の中心ということなのでしょうか?バイクも同じですが、若者が、この手の機械モノに事に余り興味を示さないというのは、業界で共通した事なのかも知れません。
その反面、当時はプロ専用の特殊機材だと思われていた白レンズや数十万もする高級機なんかも、一般人が当たり前に購入する時代になりました。
フィルムからデジタルへ・・・若者から年配者へ・・・カメラ業界も、そして雑誌も確実に変化していることだけは確かな様です。
初期のCAPAを改めて見ると、何とも長閑な時代という気がしますね・・・。
投稿者: 80sourdecade | Filed under All Posts, その他, カメラ
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