改めて見ると、結構先進的なスタイルですね・・・
コニカFS-1 ザ・ワインダー
コニカFS-1は、ワインダー内蔵式一眼レフの元祖として登場しました。
70年代に露出が自動化し、80年代半ばにオートフォーカスが普及しますが、その少し前、更なる自動化ということで、フィルムの巻上げを自動化する動きが、一部でありました。
70年代、キヤノンAE-1が連写一眼というキャッチフレーズで爆発的なヒットを飛ばしましたが、それ以降、ワインダーが急速に普及したことと無関係ではありません。
コニカというメーカーは、シャッター優先AEの先駆者でもあり、79年に登場したFS-1もその路線を引き継ぎながら、ワインダーを内蔵し、フィルムの巻上げの自動化、フィルム装てんの自動化を実現していました。
通常の一眼レフよりも若干幅が広い程度ながら、随分とコンパクトにまとめたのが印象的でした。
当時の中学生向けの学年雑誌にも、OM10と並び、頻繁に広告が出ていたものでした。オプションのワイヤレスユニットを使い、簡単に無人撮影が出来ることを、大々的に宣伝していたものです。
世界初のTEM(TTL EE+Motordrive)を実現するには、こんな大袈裟なシステムが必要でした。
考えてみれば、同等のシステムが初めて登場したのは、71年に登場したキヤノンF-1が最初でした。それから僅か8年で、随分とコンパクト化したものですが・・・。
しかし、コニカというメーカーは、余り一眼レフに主力を置いいなかった為、レンズのラインナップ一つ取っても、キヤノンやニコン、オリンパス辺りと比較しても、大きく出遅れていました。
その上に、このFS-1が、どういう客層を狙っているのか、イマイチ明快じゃなかったのも問題でした。
当時のカメラファンといえば、コンパクトにワインダーを内蔵するよりも、大掛かりでも高速なモータードライブに惹かれたのです。
かと言って、初めて一眼レフを買うという人には、価格的にも高過ぎました。
更に当時、サクラカラーというと、色が赤っぽくてイマイチな印象が強かったこともあり、色眼鏡で見られた・・・というのも有ったことでしょう。
それに輪をかける様に、当初、故障を連発したという事実もあり、あちこちで大々的に宣伝された割には、大した販売実績を残す事は出来ませんでした。
当時の中一時代では、「ザ・ワインダー」というキャッチフレーズで宣伝されていました。
後に、FS-1のワインダーを別体式にしたFC-1が登場しますが、コチラはFS-1の広告の隅の方で、「ザ・コンポ」といって宣伝されていました。
当時、オーディオのミニコンポが流行っていましたが、正にソレに相乗りする様な感じでした。
今日、このFS-1の失敗が原因で、コニカは一眼レフから撤退したと言われていますが、実はコニカもAF一眼レフの開発を着実に進めていたのです。それが様々な理由からお蔵入りになり、撤退になったのです。
後のキヤノンTシリーズにしても、やはり「ワインダー内蔵」というだけでは、イマイチインパクトに欠け、販売は低迷していました。
カメラファンが最も憧れるアクセサリーが「モータードライブ」であった時代、ワインダーが内蔵されてしまって、他の選択が出来ない・・・というのは、逆にネガティブに取られてしまったのです。
そんな中で、比較的成功していたと言えるのが、コンタックス137MAクウォーツでしょう。コチラは、単三電池4本で、秒3コマのモードラ内蔵と、明らかに同時代の外付けモードラよりも性能が良かったのが目に付きました。
それでも、ワインダー内蔵が常識になるのは、オートフォーカスがセットになってからの話しで、それを考えると、FS-1は少し早すぎたと言えます。