ライカM4-P
私がカメラを始めた80年代初頭、ライカといえばM4-Pの時代でした。
当時の私の印象は、「何でバカチョンがこんなに高いの?」でした。
無知な私は、一眼レフでないレンジファインダーは、コンパクトカメラだと単純に思っており、ミノルタCLEも同類でした。しかし、それにしては50mmF2の標準レンズ着きで440,000円という価格は、どう見ても尋常には思えませんでした。
当時、キヤノン・ニューF-1の50mmF1.4付が180,000円程度であったことを考えると、実に2.4倍という価格差だったのです!
さて、このM4-Pというカメラ、ライカファンからは余り人気の無いモデルとして知られています。
ベースとなったのが67年に発売されたM4なのですが、このモデルは、71年にTTLを内蔵したM5の登場後、一旦は生産中止となったものの、露出計内蔵で大型化し、スタイルが大きく変わったM5は不評で74年には生産中止となり、同時に露出計の内蔵されていないM4がカナダ製で復活しています。
M5の失敗以降、ライカというブランドは、M3から始まったあのスタイルから抜け出してはいけない…という暗黙のルールに縛られる結果になってしまいました。露出計を内蔵した新型よりも、伝統的なスタイルで旧式なソレをユーザーが求めたのです。
その事はブランドとしての発展性を無くしてしまったにも等しく、当時のライカは、オートフォーカスの開発に積極的だったのは知られていますが、その辺りから、その流れは止まってしまっています。
その後ライカは倒産し、M4も生産中止となり、数年のブランクの後にM4-2が登場しますが、コチラはM4の廉価版であると同時に、ホットシューやモータードライブの取り付けといった近代化が図られており、更に、そのファインダーを28mm~135mmまで拡大して登場したのが、このM4-Pでした。
60年代に一眼レフが普及した当初、その大きさ、重さ、広角レンズが無い…といったデメリットから、広角を中心にレンジファインダーを併用する人が多く居ましたが、コレが登場した81年というと、一眼レフも大幅なコンパクト化が進み、自動露出も一般化し、各メーカー、50本にもならんとする膨大なレンズシステムを持つに至り、最早レンジファインダーに太刀打ちできるものは何もありませんでした。
そんな時代に露出計さえも内蔵していない前時代的な超高価格カメラなど見向きもされる訳も無く、人気は低調でした。オマケにこの辺りは全てカナダ製という事もあり、中古市場でも人気が低くなっており、お買い得モデルになっています。
84年には、TTLを内蔵したM6が登場していますが、85年のプラザ合意で日本円が急激に強くなったことで値下げが行われたこと、AF化された国産高級一眼レフが大幅に価格アップしたことで、相対的な割高感が薄れ、更にバブル経済によって日本人の金銭感覚が大きく変わった事、余りに自動化され、プラスチック化されたカメラに食傷化する一部の動きも手伝い、田中長徳氏に端を発した90年代のクラシックブームの中で、大いに人気を博すことになりました。
その頃には、30万も出せば標準レンズ付きのM6が買えたことで、日本がライカにとっての最大のマーケットになりました。その僅か10年前が嘘の様に・・・。
そんな、ライカの暗黒時代とも言える頃のカタログが何故かウチにある…当時高校生だった私にこんなのをくれた店主に感謝します!
投稿者: 80sourdecade | Filed under All Posts, カメラ, ライカ
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