– キヤノンT80アートロボ・・・レンズの出っ張りといい、スペックといい、安物感に溢れていました。
キヤノンT80 アートロボ
1985年当時、私はキヤノンのユーザーで、キヤノンクラブの会員にもなっていました。
85年2月、ミノルタα7000が驚異的なパフォーマンスで、正に社会現象的な人気を得ましたが、その直後、キヤノンから新型AF一眼レフが出るというニュースを、キヤノンクラブの会報で接しました。
一般のカメラ雑誌では、α7000が紹介された翌月だったと思います。キヤノン最新鋭のAF一眼レフ、T80が発売されたのは・・・・。
このカメラの特徴は、従来のTシリーズにAFを搭載したという感じで、ミノルタがマウント変更に踏み切ったのに大して、従来のFDマウントと互換性が取れていました。
そして、ミノルタがボディー内モーターによって、レンズのコンパクト化、低価格化を実現したのに対して、コチラはレンズモーター式を採用していました。
即距方式は、ミノルタが現在も主流である位相差式であったのに対して、キヤノンは、スピードでは劣るものの、精度では上と言える、コントラスト検出法を採用していました。
こうやってみると、ことごとくミノルタとは反対の方式を取っていることが分かりますが、これはミノルタを意識して・・・・という訳ではありません。ミノルタから一ヶ月でここまで開発が進む訳は無いからです。
こうしてAF二番手として登場したT80ですが・・・・・その評価は散々な物でした。
先ずはミノルタが、300mmF2.8も含めた膨大なAFレンズシステムを一気に発売したのに対して、キヤノンは3本の普及版レンズのみ・・・従来のFDレンズも使えるとは言え、商品力では圧倒的に劣りました。
当時はレンズ内モーターの技術が確立しておらず、レンズに出っ張りのあるスタイルは、ミノルタに比べ、明らかに稚拙に見えました。
デザインに関しては、レンズの出っ張りのみでなく、ボディー全体が斬新さに溢れたミノルタに対して、総エンプラの安物感全開といった感じででした、
名前にしても、ミノルタが先代のX700からα7000…正に新世代といったエネルギーに溢れていたのに対して、T70からT80…名前からして、従来の延長線上という印象しか無く、新鮮なイメージは皆無でした。
AFの性能に関しても、やはりミノルタには全く適わないもので、その上、ミノルタのボディーが、AF以外の面でも、マルチモードAE機という面で見ても、極めて高い性能を有していたのに対して、T80のソレは、マニュアルも使えない、数種類のプログラムが使えるというだけのものでした。
そのプログラムの切り替えも、絵表示でスポーツモード、被写界深度優先モード、流し撮り等を選ぶもので、言ってみればフィルム末期のコンパクトカメラのソレと同じです。
そんな具合に、何から何まで全く勝負にもならずに、早々と消えていったのですが、実はコレには裏が有った・・・というのです。
当時のキヤノンは、マウントを変更するか、しないかで大いにもめていたといい、結局このカメラの出来の悪さを知らしめることで、「マウント変更止む無し」とユーザーに納得させることが出来た・・・という話しです。
これは、別にFDマウントだからAFが出来ないという訳では無く、FDマウントの設計の古さから来る複雑な構造を、適当なチャンスを見計らって捨て去りたいというのが本音だったのです。それには、やはりレンズシステムの一新が必要なAF化というのが、最も適当なタイミングだったのです。
後にニコンが連動システムの変更で右往左往して、不変の・・・なんて言いながら、互換性が皆無なのを見れば、それは明らかです。
当時の私は、キヤノンファンであった為、T50以降のキヤノンが余りに不甲斐ないのを嘆いたものでした。
こんな出来の悪い・・・・と言っては失礼ですが、キヤノンは一貫してレンズ内モーターを主張していた事、そして、現在それが主流である事、一眼レフには使 われなくなったものの、今でもそのメリットは十分にあるコントラスト検出法等、技術的に未完成ながら、見るべき所はありました。
こんな中で、ニコンを初めとした他社は、ミノルタから特許を買い、AFに参入する事になるのですが、キヤノンは独自の設計に拘り、後のEOSで、他社を一気に引き離すに至るのです。
当時のキヤノンは、試作機の様なTシリーズを乱発して、市場のモニターと同時に洗脳も同時に行っていましたが、少なくとも、当時のメカ好き、カメラ好きからすると、何とも不甲斐ない時代であったのは確かでした。